全国都道府県を巡った旅の思い出を、時には思い出しながら県別に整理をしています。神奈川県の風景になります。


芦ノ湖(あしのこ) 神奈川県箱根町箱根    (2021年3月撮影)
芦ノ湖と呼ばれるようになったのは、水辺に芦がたくさん生えていたからといわれているようです。

海賊船
奥に「ビクトリー」手前に「クイーン芦ノ湖」の遊覧船が並んで停泊していました。
お玉ヶ池 神奈川県箱根町元箱根    (2021年3月撮影)
元禄15年(1702)閏4月27日、伊豆大瀬村太郎兵衛の娘、お玉は関所破りの罪で処刑されました。お玉は奉公先の江戸新田嶋から国元に帰る途中、手形がないので箱根関所を通ることができず裏山を通り抜けようとしたのです。
処刑は、お玉が本道をそれて裏山である屏風山に踏み入った坂道の所で行われ、お玉の首を齊ヶ池で洗ったともいわれています。このためいつのころかこの池がお玉ヶ池、お玉坂 と呼ばれるようになりました。    (説明板より)
旧東海道石畳 神奈川県箱根町畑宿    (2021年3月撮影)
江戸幕府は元和4年(1618年)十六夜日記でも知 られる旧来の湯本から湯坂山-浅間山 鷹ノ巣山芦ノ湯を経て、元箱根に至る湯坂道(現ハイキングコース)を廃し、湯本の三枚橋から須雲川に沿い畑宿を通り二子山の南側を経て、元箱根に至る古い山路をひろげ世に箱根八里越えと伝えられる街道を作った。
この街道は、寛永12年(1635年)参勤交代の制度ができて一層交通が盛んとなり、そのありさまは、詩歌、物語等にも多く歌われた。
延宝8年(1680年)幕府の手により、はじめてこの街道に石が敷かれたが、この石畳の道は、現在も所々に存し、国の史跡に指定されている。
現在、残っている石畳は、文久3年(1863年)2月、孝明天皇の妹、和官内親王が十四代将軍徳川家茂のもとに降嫁されるにあたり幕府が時の代官に命じ文久2年(1862年)に改修工事を完成させたものだといわれている。
甘酒茶屋
江戸初期創業で約400年続くこの店は老朽化の為、2009年4月にリニューアルオープンし、甘酒茶屋の現在の店主は十三代目になるそうです。
甘酒茶屋
説明板によると、赤穂浪士の一人、神崎与五郎の詫状文伝説を伝えるこの茶屋は、畑宿と箱根宿のちょうど中ほどにあり、旅人が一休みするには、適当な場所でした。当時この茶屋は箱根八里間で十三軒あり、甘酒を求める旅人でにぎわいました。
無料休憩所
甘酒茶屋の隣にある休憩所です。
立て札に「箱根旧街道の面影を偲んで訪れる人々や広く一般の方のための休憩所です。茅葺屋根の内部は、土間や囲炉裏が設けられています。無料ですので、ご自由にお休みください」とありました。
大高源吾が馬方国蔵に詫び状を渡す場面
赤穂浪士四十七士の一人大高源吾が江戸下向しようとしている道中、国蔵というヤクザ者の馬子がからんできた。
大八車(だいはちぐるま)
大高はここで騒ぎになるわけにはいかないと思って、じっと我慢する。調子に乗った国蔵は「詫び証文を書け」と因縁をつけてきたので、大高はおとなしくその証文を書いた。 
駕籠
 後日、赤穂浪士の討ち入りがあり、そのなかに大高がいたことを知った国蔵は己を恥じて出家の上、大高を弔ったという。
旧東海道石畳
このエピソードは大高源吾ではなく神崎与五郎のものとして語られる事もある。その場合因縁をつけてくるのは「丑五郎」という男である。
東海道新幹線 神奈川県平塚市大神    (2021年3月撮影)
相模川の河川敷にある大神スポーツ広場(市民スポーツ広場)より
相模川を渡る新幹線。
圏央道(首都圏中央連絡自動車道)
相模川の対岸にある圏央道の下を走るJR相模線
圏央道
寒川北ICのループ道です。
神川橋 神奈川県寒川町一之宮の    (2021年3月撮影)
相模川に架かる橋です。