昨日(2/26)のアクセス数が急上昇で4966件
音楽レビュー3位
アクセス数は、多ければいいってものではないが、、、
原因が気になるではないか!
4,966件の1位が、2022年10月14日に書いた「オックスの赤松愛、天国に逝ったのか!」で、3,832件(86.6%)
この日書いた女子バレーボール関連ではないかと思ったが、#のついたブログ記事が1,110件でしたね!
一方、2/25(日) に「まいどなニュース」
GSマニアの中将タカノリさんの記事
「僕と愛を引き離したい人がいたんじゃないかな」
失神バンドの栄光とその後 盟友の失踪脱退の真相は
GS「オックス」ボーカルの真木ひでとさんインタビュー
ネットで公開しているので、真木ひでと(野口ヒデト)証言の概要を紹介すると
・ガールフレンド
デモテープでは「おんな友達というタイトル。
仮歌は作詞の橋本淳と作曲の筒美京平が歌っていた!
・オックス版♪テル・ミー
バックボーン時代から歌っていたので、オックスでもすぐレパートリーに加えました。初めは栗山純というボーカルと二人で歌っていたんですが、ほどなく脱退してしまったので愛と歌うことに。
人気曲だったので、東京に来てまだ仕事が無い時期に愛と相談してどんどん演出を練っていきました。
間奏で僕が台詞を語っているあたりまではまだ冷静なんですが、後半から僕と愛のバチバチした掛け合いが始まる。
そしてラストのサビのリフレインでどんどん陶酔して、楽器を壊したりして、最後はベースの循環コードの中で僕と愛だけが歌い続けているという流れです。もの凄く緊張感があった。
今、バックバンドの演奏で♪テル・ミーを歌っても、あんな感じには絶対ならない。オックスの演奏で、僕と愛がいたからなし得た現象でしょうね。
・赤松愛
イメージ的には僕が陰で、愛が陽という感じでしょうか。
愛は協調性が無くて変わり者なんだけど、持ってるタイプ。
1969年3月に浅草国際劇場からそんな雰囲気を感じました。トレードマークだった茶髪を黒に戻して、一緒に居ても笑顔が無くなって……最後は5月5日の土浦市民会館公演の時に失踪して、そのまま脱退ということになってしまいました。
理由はオックスの人気を恐れた人たちにそそのかされてしまったということなんだと思っています。
誰がとは言いませんが、僕と愛を引き離せばその勢いを削ぐことができると思ったんでしょう。一緒に続けていればもっと違う展開があったんじゃないかと思うと悔しいですね。
真木ひでとさんホームページを再開していて、復活宣言
ミックもシワの多いおじいちゃんになったけど
まだストーンズのボーカリストで頑張ってるし
沢田さんも一生懸命頑張ってるし
オレなんかその方たちより若いんだから モチベをあげて行かないとね
ただのジジイになったらみんなに申し訳ないから・・・
待ってろよ~~~~~~~~~~~~がんばっから
気が向いたときに 取り留めのない事を書くけど
よろしくね オレからも発信しないとさ ヒデトより
復活して、内容が充実していましたね!
赤松愛の存否
ひでとさんのインタビューなどでは触れていなかったので、ウィキると
赤松愛(あかまつあい、1951年 <昭和26年> 2月14日 - 2022年 <令和4年> 7月25日)
2022年7月25日に死去していたことが、親族や知人からの情報で明らかになった。71歳没[4]
[4] あの頃のショーケンになりたかった! エコケーンの日記”. 2023年5月21日閲覧。
えっ、エビデンスが拙者のブログ!
荷が重すぎるではないか、、、、
いやぁ、まいったなぁ