八神純子~松田聖子~沢田研二と♪真夜中のドア、三浦徳子さんを偲ぶ、、、 | あの頃のショーケンになりたかった! エコケーンの日記

あの頃のショーケンになりたかった! エコケーンの日記

グループ・サウンズやローリング・ストーンズなどのロック、モーニング娘。などのアイドルに昭和プロレス、映画に落語に食べ物や大阪に関することやそのうえお城も好きで、見たり聴いたり、その時に感じたことを書きたい備忘録日記、、、、

 今朝の新聞に作詞家の三浦徳子さんの訃報が、、、、

 徳子って、よしこって読むのか!

 もちろん、名前は知っていたが、漢字でしか、この名前をみたことがなかった、、、

 

三浦徳子さんの経歴をウィキると

 1949(昭和24)年生まれ、75歳だった、、

 1970年代後半から1980年代にかけて、岩崎宏美、石川ひとみ、松田聖子、早見優、堀ちえみ、工藤静香などの女性アイドル歌手全盛時にヒットチャートを席捲した。

 ほか沢田研二、郷ひろみ、田原俊彦、少年隊などの男性アイドル歌手や、八神純子、浜田省吾、TUBEらのシンガーソングライターにも、数々のヒット作品を提供していた

 晩年は主にハロー!プロジェクト関連、および旧ジャニーズ関連の各種アイドルグループの各楽曲の作詞を手掛けていた。

 

 ほか沢田研二は、余計な文言でしたが、中森明菜様や浜田朱里さんにも詞を提供してましたが、、、

 ハロプロにも曲を提供していたことはすっかり忘れていましたが、、、

 

 記憶にあるヒット曲の詞を提供していた3人の歌手を年代順に並べると

 

八神純子

♪みずいろの雨(1978年5月)、♪想い出のスクリーン(1979年2月)、♪ポーラー・スター(1979年7月)、♪パープルタウン 〜You Oughta Know By Now〜(1980年7月)

 

松田聖子

♪裸足の季節(1980年4月)、青い珊瑚礁(1980年7月)、風は秋色/Eighteen(1980年10月)、夏の扉(1981年4月)

 

沢田研二

♪おまえがパラダイス(1980年12月)、♪渚のラブレター(1981年5月)、♪ス・ト・リ・ッ・パ・ー(1981年12月)、♪6番目のユ・ウ・ウ・ツ(1982年9月)

ジュリーwithザ・ワイルドワンズの♪渚でシャララ(2010年2月)

 

 八神さんはニュー・ミュージック聖子ちゃんはポップスジュリーはロックですが、♪渚でシャララを除いて、大きくくくると、昭和歌謡ではないかと、、、

 

そして、その後杏里

♪CAT'S EYE(1983年8月)、♪気ままにREFLECTION(1984年4月)

 こちらは、シティ・ポップですが、1984年は、まだ昭和なので、昭和歌謡ですね、、、

 

 訃報記事で気になった曲が

♪真夜中のドア〜Stay With Me、

 詞は三浦徳子さんで、曲は林哲司さん

 リリースが1979年11月で、オリコン最高28位ながらも、10.4万枚、キャニオンレコード発表30万枚のセールスを記録するヒットとなって、2020年頃から日本のみならず海外でも広く聴かれるようになったとか、、、

 

松原 みきさんの経歴も興味深い

 1959年生で2004年10月7日(44歳没)

 大阪府岸和田市で生まれ、堺市で育ち、母親がクレージーキャッツと共演したジャズ歌手であることから、3歳からピアノを習いジャズに親しんで、1972年にプール学院中学校へ入学し、ロックに興味を抱いてロックバンド「愚麗」で演奏、高校では「吉野家バンド」でキーボードを担当して京都市のライブハウス磔磔で活動。

 高校3年生のときに、単身で上京して、米軍キャンプなど各地で演奏。六本木のジャズスポット「バードランド」で飛び入り演奏して世良譲に絶賛される。

 

 う~ん、松原みきさん夭折も知らなかった、、、

 歌声は知っているが、当時は顔もみたことはなかった、、、

 よく聴けば、ジャズボーカリストとしての資質が下地にあったのですね、、、、

 

♪stay with me~真夜中のドアをたたき

 帰らないでと泣いたあの季節が 今 目の前

♪stay with me~口ぐせを言いながら

 二人の瞬間を抱いてまだ忘れず 大事にしていた

 恋と愛とは違うものだよと

 

いやぁ、まいったなぁ

 

 三浦徳子さんと、松原みきさんに合掌、、、