文春連載「ジュリーがいた」第4章② 蜷川幸雄編は面白かったが、ショーケンと二人で観た映画は? | あの頃のショーケンになりたかった! エコケーンの日記

あの頃のショーケンになりたかった! エコケーンの日記

グループ・サウンズやローリング・ストーンズなどのロック、モーニング娘。などのアイドルに昭和プロレス、映画に落語に食べ物や大阪に関することやそのうえお城も好きで、見たり聴いたり、その時に感じたことを書きたい備忘録日記、、、、

 文春連載「ジュリーがいた」第4章「たった一人のライバル」 再開はショーケン篇でスタート」と先週の連載、広告をみただけで、どんな内容はまではわからなかったので、コンビニで仕事へ行く途中で即購入。「① 田中實って誰やねん!」(12月17日記)」で書きましたが、今週の週刊文春、広告にはのっていなかったので、コンビニでチェック。

 

 連載はありましたよぉ!

 ②は今は亡き蜷川幸雄さんの噺だったので、この5頁を読むためだけに購入。12月30日・1月6日合併号なので、今年の最終号。

 

 著者の島崎今日子さん、ショーケンとジュリーを語るキーパーソンとして蜷川幸雄さん取り上げたのはを、なかなか良い視点でしたが、もはや故人なので聞き書きはできない。

 そのために過去の資料を基にして構成していて、冒頭は格調高い。

 

 60年代から70年代は、さまざまな分野で既存の価値観を書き換える地殻変動が起こっていた。時代のアイコンとなったジュリーとショーケンには、新しい表現を求める映画監督や演出家、脚本家や写真家など多くのクリエイターからラブコールが殺到する。視覚的な演出で世界から喝采を浴びた演出家、蜷川幸雄も2人と交わったひとりであった。

 

 時系列では69年、まだ19歳の萩原は、演出家になったばかりの蜷川と邂逅する。ザ・テンプターズ時代の一時を共に暮らした江波杏子と蜷川の妻、真山知子(蜷川宏子)が映画で共演して仲よくなり、その縁で15歳年上の蜷川を慕い、友だちになったのだ。

 

 ショーケン兄さんは「ぼくはPYGに参加したとき、本音としてよくわかんないところがあった。グループ・サウンズ解散して、世の中の空気がロックっぽくなったので髪の毛長くして生きちゃえみたいな……。沢田はわかってたんじゃないかな。あの人はオレより歌手として生きる執念が強かったから。……オレは連合赤軍の三流どころで、だれかが最初に旗揚げして(笑い)、それにくっついていったんだけど、つらくて、早くバイバイしたい、いいかげんにしてくれって……そんな気持ちだったな(笑い)〉(「GORO」12月9日号)に記事を基に、「闘争が敗北を重ねる中で、追い詰められた赤軍派と京浜安保共闘という2つの組織が「野合して」生まれたのが連合赤軍だった。萩原がPYGに参加した自分を、指導部に従い、山岳アジトに行って「同志殺し」の当事者となった「兵士」になぞらえたのも、蜷川たちを見ていたことと無関係ではなかったろう。」って、PYGって、連合赤軍!!!

 

 また、蜷川証言では「ショーケンは俳優の仕事を始めた。ショーケンの演技は素晴らしかった。軽さと苦痛がいりまじったようなその演技は、マーロン・ブランドやジェームス・ディーンと同じ系統のものだった。ショーケンこそ、その当時流布されていた演技を一変させた、革命児だった。」そして、蜷川演出の舞台に立つことはなかった。

 それは萩原の俳優人生に舞台はひとつもな。そもそも毎日同じ台詞を繰り返すことになる演劇は、「その時の気持ちのままに演じたい」ショーケンに向いていなかった。」と書いていましたが、そのとおりですね。

 2人が一緒に仕事をしたのは、蜷川が監督し、萩原が民谷伊右衛門を演じた81年公開の蜷川監督作品映画「魔性の夏 四谷怪談より」一本だけだった。

 

 一方、沢田研二さん、1985年に渡辺プロダクションから離れて個人事務所ココロを設立した時、1年ぶりに開くコンサートの演出を託されたが、その12、3年前、帝国ホテルの横を歩いていて旧知のショーケンと一緒のジュリーと出くわし、3人でホテルのカフェに入ってお茶を飲んだ時が出会いだったらしい。

 そのとき、ジュリーは一言もしゃべらなかった。ショーケンだけが映画の話や演技の話をした。ジュリーはぼくらの会話に加わらなかった。彼は黙ってコミック雑誌を読んでいるだけだった。その表情から、ぼくらの話が聞えているのかどうか、判断することはできなかった。

 

 ところで、26歳だった沢田研二さん、1975年3月、39歳の蜷川演出、唐十郎作「唐版滝の白糸」で舞台に立つ。

 このときのナベプロのプロデューサー池田道彦からの聞き書きがジュリー女子にとっては興味深いところかもしれませんし、今更ですが、沢田研二さんのカッコよさを再認識しましたね。

 

 ですが、ACTシリーズの写真が掲載されているのに、89年から10年間に渡って圧巻のパフォーマンスを見せたって、少し物足りないかも、、、

 

 パンパカパーン、今週号のハイライト、二人で並んで観た映画は何かというと、76年3月公開、シドニー・ルメット監督作品「狼たちの午後」と思いきや、蜷川さんの勘違いで73年秋に公開されたアル・パシーノ+ジーン・ハックマン主演の「スケアクロウ」かもしれないとか、、、

 

いやぁ、まいったなぁ、、、

 

 故人になった二人には聞けないので、そのくらいのことは沢田さんに確認してもいいはずなのに、、、

 この連載、沢田研二さんは読んでいて、そのくらいのことならば答えてくれると思うのですが、、、

 聞けないのは女心というものですかねぇwww