文春連載「ジュリーがいた」第4章「たった一人のライバル」① 田中實って誰やねん! | あの頃のショーケンになりたかった! エコケーンの日記

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グループ・サウンズやローリング・ストーンズなどのロック、モーニング娘。などのアイドルに昭和プロレス、映画に落語に食べ物や大阪に関することやそのうえお城も好きで、見たり聴いたり、その時に感じたことを書きたい備忘録日記、、、、

 昨日書いた「文春連載 ジュリーがいた 再開はショーケン篇でスタート」広告をみただけで、どんな内容かまでわからなかったので、コンビニで仕事へ行く途中で即購入。

 

 昨日引用したPYGのはなし、落語でいうマクラで、本題は田中實からの聞き書き。

 今回の聞き書きの主役、田中實って誰やねん(笑)

 紙上で紹介された経歴は、1944年東京生まれ、雑誌「平凡」の編集者で「ジュリー・ファンにサインを求められることも多かった」らしい。

 

 田中は66年暮れ、沢田研二と出会うことになって、翌年1月にタイガースを観て「ローリング・ストーンズとかやるのを聴いていたので、まさか僕のマリーでデビューするとは思いませんでしたが」

 中井マネージャーに呼ばれて、戦後世代の二人は話があって、平凡での写真撮影を行ってきたとか、、、

 そして、「平凡」を見た萩原はよく「俺もああいうの、撮って」と、自分の担当ではない田中に声をかけてきたとか、、

 68年9月号の「北海道のクール・タイガース」と「ザ・テンプターズの夏休み」垢ぬけたタイガースのページとの差は歴然だったとも書いていたが、、、

 気になるなぁ、本当かなぁ、勝手に決めつけるのはなんだかなぁ

 どんな写真だったのでしょうか、、、

 それとも、早川タケジのように写真集発売の前宣伝なのか、、、

 そうであれば、うれしカルカルですが、、、

 

 さらにPYG結成時の写真撮影「全員が全員凄いメンバーというのもなかなか成り立たないだろって。中井さん何をやりたかったのかなぁ」だって、、、

 

 「沢田君とショーケンの大きな違いは、ステージに立った時は圧倒的に沢田君ですよね。ショーケンもステージでは沢田に負けると言ってましたもん。だけど、街を歩かしたらショーケンですよ。雰囲気出す時の表情なんか、カッコつけたわけじゃないのにえらいカッコいい。だから、ショーケンは俳優にあってたんだと思います」

いやぁ、まいったなぁ

 田中實はアニキのステージを観たうえで証言しているのかなぁ、、、

 

 さらに田中實は「平凡」から新しく創刊されたグラビア誌「スタア」についても語っていた。

 

「沢田君は演出したほうが光るので、徹底的に作りこんで撮りました。」

「ショーケンの場合は、そのまま放ったらかして撮りゃいいんです。」

 

 なんと、今回は、じじいの上から目線の自慢話だったwwwwww

 

昨日、書かなかった、著者の島崎今日子さんのこの連載の噺

・ジュリーだって、ずっとトップにいたわけではない。挫折もいっぱいあったと思います。

・2000年代初頭くらいまではしんどい時期が続いたでしょう。

 それでもやりたいことを曲げず、還暦で「ジュリー祭り」を開催し、80曲を歌いきって復活した。それは、元の道に戻るのではなくて、できることをやっていくという姿勢。いいなと思った。

・ファンも好きで応援していくだけでなく、人生を投影しながら一緒に下りていくという感覚を共有している。

 そこに半世紀以上の歴史があるので、書いていて面白い。

 

 ショーケンとジュリーならば受けがいいでしょうし、知りたい、聞きたい、見たいですが、島崎さんにしては、少しイージーですね!

 当時の取材者に聞き書きするのであれば、平凡関係者だけの取材ならば平凡ですよwwww

 

 やはり沢田研二さんの独立時代からジュリー祭り~ドタキャン騒動までの大河連載に期待したい。

 

 今回は一般ピープル向けの記事、これで評価を得て大河連載を続けるという戦略と思いたいんだなぁ、これが、、、