ローラーゲームのパンフとチラシを発掘!70年代風のメイクのヨーコと圭子! | あの頃のショーケンになりたかった! エコケーンの日記

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グループ・サウンズやローリング・ストーンズなどのロック、モーニング娘。などのアイドルに昭和プロレス、映画に落語に食べ物や大阪に関することやそのうえお城も好きで、見たり聴いたり、その時に感じたことを書きたい備忘録日記、、、、

 今日はローラーゲーム、ヨーコと圭子、70年代の噺です。

 

 1枚の写真をみて思い出したのが、ヨーコさんと圭子さん。

 ヨーコさんといえば、小野洋子さんと港のヨーコもいますが、記憶に残るのは佐々木ヨーコさん。

 圭子さんといえば、北海道の藤圭子さんですが、綾部圭子さん、知っていれば、ローラーゲーム通ですね。

 ちなみに綾部圭子さん、隣に妹がいて、お姉ちゃんよりも体格がよかった!

 

 

 ローラーゲームとは、「ローラースケートをはいた五人ずつで編成された二チームが、定められたトラック上を周回し、互いに相手側を追い抜くことによって得点する競技。」

 

 少し長くなりますが、ネット情報を引用すると

 

1930年代のアメリカで誕生したローラーゲームは、徐々にルールが整備されていった後、1960年代にテレビ中継の影響で流行していきます。日本においては、そのブームに気付いた東京12チャンネルが、19684月から毎週「ロスアンゼルスサンダーバード」の試合の模様を放送。しかし、大人たちからは「子供向けのスポーツ」と認識されていたため、国内における人気は伸び悩み、やがて視聴率も低迷。19709月には打ち切られてしまいます。

日本人に訴求するためには、やはり、日本人のみで構成されたチームが必要と考えて、幾度もの試行錯誤を繰り返した後、1972年「東京ボンバーズ」が誕生し、復活した番組が、「日米対抗ローラーゲーム

この番組のキャッチフレーズは「殴る!!蹴る!!つぶす!!話題のスポーツローラーゲーム」。エキサイティングな試合の連続で、反則あり、乱闘あり、試合中断も日常茶飯事。

土居まさる実況にドクター宮本の解説、記憶にございますが、映像は残っていない???

 

 

 ローラーゲーム、昭和プロレスマニアにとって、肯定的であろうが、否定的にとらえようが、そそる存在www

 特に国際プロレス1974年にTBSから打ち切りになったとき、吉原功社長が早大の同期である東京12チャンネル(現テレビ東京)の白石剛達とのコネクションを活かして、再びテレビ放映を獲得。

 白石剛達がローラーゲームのプロデューサーだったから、東京12チャンネル時代の国際プロレスをみることができたのでしょうね!

 

 あの頃の武道館での試合、盛り上がっていましたね!

 

 そして、当時大阪では、東京12チャンネルと提携関係にあったMBSテレビが放映していて、残っていたチラシを発掘!

 当初は佐々木ヨーコさんの一枚看板だったのですが、綾部圭子さんの人気もでてきましたね!

 

 東京ボンバーズの黄金期のツートップ(パンフレットの表紙)

 二人とも70年代風のメイク

 佐々木ヨーコさんは小野洋子風

 ですが、それ以上に時代に敏感だったw綾部圭子さん!

 

 ローラーゲームのルールって、よくわからなかったが、ジャマ―って、邪魔をする役割だったかなぁ、このポジションは記憶にございます。

 綾部圭子さんの表情、素晴らしかったんだなぁ、これが、、、(パンフレットから)

 綾部姉妹ってこんな感じだった!

 妹さんはこのとき高校1年生

 綾部姉妹、どうしているのかなぁ、、、、

 

いやぁ、まいったなぁ 

 

 結論でございます。

 

 私的にはローラーゲームは、昭和のプロレス風だった!