昭和49年3月の猪木Vs小林、大巨人が新日本初登場したビッグファイトシリーズのパンフ発掘 | あの頃のショーケンになりたかった! エコケーンの日記

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グループ・サウンズやローリング・ストーンズなどのロック、モーニング娘。などのアイドルに昭和プロレス、映画に落語に食べ物や大阪に関することやそのうえお城も好きで、見たり聴いたり、その時に感じたことを書きたい備忘録日記、、、、

 昭和プロレスのパンフレット発掘シリーズです。

 

 これまで「ビル・ロビンソン新日本プロレス登場時」「昭和54年プロレス夢のオールスター戦」「ミルマスカラス初登場」や藤波辰巳選手の日本プロレス時代のパンフレットを紹介してきました。

 パンフレットはプロレス&ボクシング誌やゴングに比べると発行部数が少ないし、持っている人は記念品として持っているので、なかなか手放さない。

 このためネットでは高騰しているようなので、どんな内容だったのか、伝承していきたいのですよぉぉぉ

 

 昭和49年3月19日蔵前国技館で開催されたアントニオ猪木Vsストロング小林

 この日、国際プロレスのストロング小林が新日本プロレスのリングに登場。

 ロープをまたいだのである、、、

 

 歴史的には、昭和45年の「スパイロス・アリオン」のドタキャンなどの問題があって、国際プロレスは小林選手と書面で契約をかわしていたため、違約金を東京スポーツが国際プロレスに1000万円を支払うことで決着、東スポ所属の小林選手が猪木に負けた試合である。

 

 この試合、創立2周年記念のビッグファイトシリーズ、蔵前大会での千秋楽。

 パンフレットの中身はビッグ・ファイト・シリーズである。

 表紙のみが当日仕様に差し替えられ、一枚の紙切れ(表が調印式。裏が小林のプロフィール)が追加されている。

 

 左がビッグファイトSの表紙、右が3.19仕様

 

 左が調印式、右はシリーズ共通仕様パンフのあいさつ文

 左は大阪、右は蔵前のカード、そして小林のプロフィール

 ビッグファイトSパンフ、2周年の記念を鈴木庄一が書いている。

 新日本初参戦のアンドレ・ザ・ジャイアントの紹介

 シリーズ参加の外人選手、大阪でちゃっかりサインをもらっていましたね

 猪木坂口山本星野、その他の選手のポジションはこんな感じだった!

 

 この日から新日本は浮上し、国際は苦難の道を歩むことになるんだなぁ、これが、、、