1982年8月1日、大阪南港での「JAMJAMロックフェスティバル」でサザンオールスターズを観た噺、今年の2月19日に書きましたが、この野外フェス、拙者は前年の1981年7月31日に参戦していたでござる。
ネットで検索しても当日の記録がなかなか出てこないで、当日の出演者リストを基に思いだしてみました。
認知症予防のためにも(笑)
1.セリカwith DOG
これは全く記憶にございません(笑)
少し遅れて会場についたのかも、、、、
2.ブラウン・シュガー
このバンド、地元大阪で、サビか題名が、憧れのローリング・ストーンズっていう歌があって、「なんや、そのままやん(笑)」で印象に残っていますね。
確か、チャック・ベリー初来日時のライブ(大阪厚生年金会館?)の前座にも出演して、また出てるのかって、、、、
3.ARB(アレクサンダーラグタイムバンド)
これははっきりと記憶にございます。
当時のバンドメンバーは、石橋凌(Vo)、田中一郎(G)、KEITH(Dr)、野中'サンジ'良浩(B)
LPでは、A.R.B.(1979年)、BAD NEWS(1980年)、BOYS&GIRLS(1981年3月)をリリースしていて、指を鳴らせ!(1981年11月)の前ですね。
「BOYS & GIRLS」発表後、ドラムのKEITHが倒れ、入院することになったらしいが、ギターの田中一郎とともにかっこよかったんだなぁ、これが、、、
特に印象に残っているのが、Tokyo Cityは風だらけで、ボーカルの石橋凌が「Tokyo Cityは風だらけ」って3回くらい叫んだ後、「Tokyo Cityは!」って叫ぶと、学習した観衆は「風だらけ」って叫ぶ(笑)
これぞ、コール&レスポンスで野外ロックで盛り上がる術ですね!
他に、魂こがしてとダディーズ・シューズを演奏したかなぁ、、、
4.誰がカバやねんロックンロールショー
出演していておもろかったが、忘れた(笑)
5.子供バンド
全く知らなかったが、この時のパフォーマンスは素晴らしかった。
ネットで「うじきつよしが、結構な高さのあるPAスピーカーからステージにジャンプしたり、観客席の照明棟に登ってギターを弾いて、関西ではあまり知名度がなかったが、観客を熱狂させた。」と書かれていましたが、そのと~おり(笑)
湯川トーベンのベースもよかったですね。
6.水口晴幸
出ていたかなぁ、って印象。
水口晴幸って誰なんやって、思って調べると、1974年12月、舘ひろしらとともに東京・原宿においてバイクチーム「クールス(COOLS)」を結成。その後、キャロルの親衛隊を経て、チームのメンバーのうち8名でロックンロールバンドとしてデビュー。1979年12月脱退。以後ソロで活動。
あっ、これは専門外や(笑)
7.ダウンタウン・ファイティング・ブギウギ・バンド
ダウンタウン・ファイティング・ブギウギ・バンド、当時どういった状況だったのか、とネットで確認すると
1979年12月31日の「ASAKUSA NEW YEAR ROCK FESTIVAL'79-'80」(浅草国際劇場)を最後に、過去の楽曲を「封印」。1980年にダウン・タウン・ファイティング・ブギウギ・バンドに改名し、ダウン・タウン・ブギウギ・バンド時代の楽曲は演奏せず、トレードマークだったツナギを着るのも止め、シリアスなブルースとロックを追求することになる。1981年12月31日、ASAKUSA NEW YEAR ROCK FESTIVAL'81-'82」(浅草国際劇場)を最後に解体(解散)した。
つまり、改名し過去の楽曲を封印した志はよかったものの、野外フェスで初見の観衆の心には響かなかったような気が、、、
8.アナーキー
ボーカルの仲野茂は記憶がありますが、専門外なので(笑)
どんな曲をやったのか、全く記憶にございません(笑)
9.RCサクセション
野外ライブで、最強のバンド。
ローリング・ストーンズを研究し、日本流にしたのがナイスですね。
1980年6月ラプソディー、1980年12月PLEASE、1981年6月EPLP をリリースした後で、RCの黄金期、よぉこそ~で始まって、スローバラードで終わったのかなぁ、、、、