昭和46年のサマー、シークとFVエリックとマスカラス | あの頃のショーケンになりたかった! エコケーンの日記

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グループ・サウンズやローリング・ストーンズなどのロック、モーニング娘。などのアイドルに昭和プロレス、映画に落語に食べ物や大阪に関することやそのうえお城も好きで、見たり聴いたり、その時に感じたことを書きたい備忘録日記、、、、

 昭和46年(1971年)のプロレスの話です。

 

 この年の夏、まだ見ぬ強豪のアラビアの怪人ザ・シークの初来日の予定が、FVエリックに変わったことを思い出しましたね!

 

 昭和46年といえば、ミル・マスカラスが初来日。

 ニッパチと言えば、興業の鬼門、2月は寒いし、8月は暑い

 

 日本プロレスはその対策として、子供に人気があるマスカラスをトップに覆面レスラーを集め、サマーミステリーシリーズとして、全国各地を巡業。 ただし、9月にシークを呼んでビッグマッチを!

 田園コロシアムで馬場さんと、札幌でアントニオ猪木との試合を組んだ。

 

 ところが、シークは当時デトロイトでの興業戦争とやらで、急遽FVエリックがピンチヒッターに!

 なお、FVエリックは、フリッツ・フォン・エリックで、EHエリックではありません(笑)

 鉄の爪、馬場さんとの試合では額にアイアンクロー、猪木との試合ではストマックコローとして炸裂。

 FVエリックは超一流のプロレスラーでしたね、、、

 ちなみに、マスカラスは一流レスラーですが、超一流とまではいえない。

 

 また、プロレスラーの対戦には相性があって、馬場さんにはボボ・ブラジルやクラッシャー・リソワスキーにFVエリックやブッチャーが、猪木にはDFジュニアやBロビンソンが似合うんだなぁ、これが、、、

 

 で、後日談として、翌年のサマービッグシリーズ

 坂口征二が表紙だが、第1次と第2次のパンフレットの色が違う。

 第1次は馬場さんがいるのですが、第2次ではいない。

 マスカラスはシリーズに参戦していて、日本の夏、マスカラスの夏と呼ばれることになる。

 

 この年、シークが初来日し、UN選手権をかけて、坂口征二と対戦。

 9月6日の田園コロシアムの試合でシークがベルトを奪取、翌日の大阪では坂口が王座を奪還。

 ザ・シークの試合は短かったが、こんな試合スタイルがあったのかと、、、

 

 このシリーズ、猪木と手があったクリス・マルコフや孤高の人エル・ソルタリオも参戦してたのですね、、

 

 当時のパンフレットをみていると、昭和プロレス愛がとまらない、、、