『カミカゼの幽霊 人間爆弾をつくった父』(by 神立尚紀)、読んだ。 | 気が向いたときだけの大阪日記

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「カミカゼ」と言っても神風特攻隊ではなく、人間爆弾「桜花」のほう。

 

息子・隆司氏の「父」、つまり桜花の発案者である大田正一について書かれている。そして大田正一はあくまでも発案者であり、開発者ではないところが重要である。

 

「終戦の三日後、男は遺書を残し、零戦に乗って飛び立ち、東の空のかなたに消えていった」とカバー内側にある。しかし、茨城沖(金華山沖とも)で漁船に助けられ、戦後は「横山道雄」の偽名・無戸籍で生き、1994年に死去した。

 

さらに死の直前まで、家族に対しても年齢は10歳サバを読み、出身地を偽り、戦前に結婚した妻と子供がいるということを隠し続けた。

 

戦後の「横山道雄」としての人生は波乱に満ちている。「特攻兵器・桜花」の発案者として、桜花パイロットの遺族や生き残りの元軍人から恨まれる。無戸籍のため仕事も転々とする。妻とも最後まで事実婚で、法的には妻と子供とは繋がりがない。

 

なぜ「大田正一」は死んだことにして架空の人物・横山道雄として生きたのか、というのが主題にもかかわらず、全体の半分~6割くらいは「桜花開発物語」みたいな内容になっている。まあ、その主題を語るためにはしかたないか。それにしても桜花に関しての記述が詳細すぎ(笑)

 

たしかに発案は大田正一だが、それを元に実際に設計・テストを行った開発者、さらにパイロットを募集して体制を整え実行したのは、当時の軍の上層部である。

 

その辺りについて著者は、100%生還不可(神風特攻隊はまだ戻ってこれる可能性はある)の開発・実戦投入は、さすがに上官といえども命令を出せなかったのではないか。そのため「最前線の兵士(大田正一のこと)の発案なら、最前線からも進んで人間爆弾に乗るものが出てくるだろう」という考えだったのだろうと推察している。

 

桜花の改良型(二二型)が開発される頃には、「発案者」太田正一の名前は関係者の一人として名を連ねているが、開発を進めるのは幹部や技術者・テストパイロットで、機体・エンジンの設計やテスト飛行にも手も口も出せない状態になっていた。

 

ようは、海軍兵学校出身ではなく叩き上げの大田正一は「上の人間に利用された」のでは?ということである。

 

事実大田正一自身も亡くなる三か月前、息子・隆司に「いまさらわしが本当のことを言えんのや。国の上の方で困るやつがおるからな」ともらしている。

 

大田正一が戦後自らを消し、横山道雄として生きる道を選ばざるを得なかったのは「旧帝国海軍の見えざる力」によるものだったかどうなのか。残念ながら真相にはたどり着けそうもないと著者は書いている。