『死刑絶対肯定論:無期懲役囚の主張』(by 美達大和)、読んだ。 | 気が向いたときだけの大阪日記

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著者の美達大和(みたつやまと、ペンネーム)は2件の殺人事件を起こした無期懲役囚である。

 

初版発行時の2010年で「すでに塀の中での暮らしが20年弱になりました」とあるので、現時点では30年越えていると思われる。

 

という前提はもちろん知ったうえで読み進めるのだが、数ページ読むごとにそのことをすっかり忘れ、あたかもどこかの大学の先生等の専門家が執筆した本のように思えてくる。

 

そもそも無期懲役囚が刑務所内で、この本を書くにあたっての裁判・刑法のトレンドやデータ、過去の裁判事例をどのようにして入手したのかと、まずその点にびっくった。ふつうはネットぶん回すか、図書館や関係省庁・機関で資料を漁ったり取材しなければ書けないレベルである。

 

法律関係の知識や文章自体のレベルも高く、話の展開は理路整然、記載されている数値データも的確である。世の中で出回っている情報をまとめましたな「こたつ記事」的な本ではない。

 

筆者はとてつもない読書家であり、刑務所に入る前は月に100~200冊も読んでいて、自身を「ビブリオマニア」(初めて聞いた言葉(^^;))という。この本の中でもカントやモンテスキューの言葉、『巌窟王』(いわゆるモンテクリスト伯のお話)『アンナ・カレーニナ』を引用している。

 

ただ、この美達大和という人はWikipediaにも載っているが、元やくざ幹部であり、Wikipediaの「評価」の項目でも臨床教育学者・岡本茂樹氏により「「卓越した能力」(← 十分"Gifted"の領域といえるIQ150!!)と「人並外れた努力」によって元犯罪者と言うハンデを克服し、再び社会で成功するかもしれないが...」と、高学歴ではないので「インテリやくざ」とは違うが。かなりな危険人物と見られている。

 

そういう点からも読んでいても度々、どこまでが本気なのか? 仮釈放は希望しないと言っているがそのためのアピールなのでは?とつい勘ぐってしまう。

 

本の内容の主題は、カバー裏や帯にも書かれている内容紹介の


哀しい事実だが、犯罪者のほとんどは反省しない。監獄法の改正後、「自由」になった刑務所では、今日も受刑者たちの笑い声が響いている。裁判では頭を垂れるも内輪では「次は捕まらないよ」とうそぶく


という部分に集約されていると思う。

 

そして第一章「ほとんどの殺人犯は反省しない」というタイトルから話は始まる。

 

家屋侵入窃盗も加害者は「窃盗自体は悪いことではない」考え、その際の殺人も「そんなところにいるからだ」「騒ぐからだ」など、己の罪を認めないのは刑務所内では「当たり前」のことになっていると書いている。さらに「おかけでこんなところに長くいることになった」というセリフも受刑者同士の会話で普通に出てくるとも。

 

それをふまえて裁判時の「将来の更生は十分に考えられる」という、お決まり文句での死刑→無期懲役への減刑も避けるべきと言っている。

 

死刑に関しては「永山基準」についても取り上げている。

 

あと、心に残ったのが「受刑者の人権がインフレ化」しているという言葉だった。

 

昨今、世の人権団代は「受刑者の人権」を声高に訴えるが、被害者の人権はどうなのか?と。被害者の立場から事件を振り返ることを忘れ、受刑者の人権だけが「インフレ化」していると。

 

そのせいで「ヴェテラン受刑者にとっては遊びに来ている感覚」「悪党の楽園と化した刑務所」という表現もしている。再犯率・再収監率の高さや、受刑者がいかに自分の利益しか考えていないか、楽をするために狡猾にふるまうか、物事を都合よく解釈するか、ということを上記の「人権派」と呼ばれる人は全く理解していないという。

 

タイトルの「死刑絶対肯定論」については、最後1/4あたりでやっとこさ登場する。

 

死刑肯定論から、裁判員の位置づけ(一般市民感情)とあるべき姿、死刑判決を恐れてはいけないと裁判員へのアドバイスを書いている。
 

「はじめに」に書かれている「記述の都合上、恰も私が殺人犯であることを失念し、剰え「上から目線」で述べているように感じられることもあるかと思いますが」という著者の言葉をたまに思い出しながら読んだ。

 

とにかく理論的に筋が通り、かつ裏付けされるデータと現場(刑務所内)にいる人にしかわからない情報・雰囲気も盛り込まれていて、うまく騙されているのではないかと思いながらも、つい「ふんふん」と読み進めてしまったのだった(爆恥)