今日は谷四のNHK大阪攻め。
なんといっても大坂城の隣やもんなあ。今でこそ隣だが、当時あのあたりは城内だったはず。
というわけで、谷町四丁目站のいちばん東側の口から地上へ(←これが通)。
すいていて見やすかった。でも土・日は混むんやろね。
展示は、本読んだりネットで調べればいいものは全てスルー(^^ゞ 番組系のところ以外は興味なし(笑)
花押スタンプ捺したり、アンケートでクリアファイル(とシールとポストカード)やカード(寧々さま出ました(^^))もらったり、楽しゅうございました。
長いっ!! 200分\(◎o◎)/!
本田圭佑風に言えば「にひゃっぷん!!」(爆)
メインのストーリーは「マイケル・コルレオーネ(演 : アル・パチーノ)のその後」だが、並行して
第1作では触れられなかったトビ(ドン)・コルレオーネの生い立ちが、「ファミリーヒストリー」的に描かれている。
そのトビ・コルレオーネ(演 : ロバート・デ・ニーロ!!)の声が、第1作のマーロン・ブランドとめちゃ似ていた(似せていた?)のにはびっくり。
ドン・コルレオーネって若いころからあんな枯れた声やったんかぁ、と(笑)
"PART Ⅱ"でも抗争は相変わらず、陰謀・暗殺も第1作同様に繰り広げられる。
ただ、さすがに時代の流れには逆らえず、先代の頃のようなマフィア色は抑えざるをえず、マイケルも実業家の方へ舵を切っていく。
そして上映開始から2時間たったあたりで、画面に「休憩 INTERMISSION」と出た。しかし映画は止まらない。が、勢いで外へ出てトイレへ行き、戻ってくるときに入り口の掲示を発見。
「休憩」と表示されますが中断せずに続けます、やて(・・;) その掲示を知らず外に出た人が、自分含めて10人くらいいた。
マイケルが公聴会での質疑にかけられ、五大ファミリー暗殺(第1作最後のシーン)などの過去の事件に関して追及される。あのあたりは「どうするマイケル」的になかなかヒヤヒヤものだった。
公聴会後、妻のケイ(演 : ダイアン・キートン ←かっわいい~)に離婚を突き付けられ、「おれは変わる」と離婚を思いとどまらせようとするが、結局離婚。
それからエンディングに向かい、敵対する者や裏切り者を消していく。「やっぱり変われなかった」ということを表現していたように思う。
映画って続編は前作に比べてレベルが落ちることが多いが、「ゴッドファーザー PARTⅡ」は全体のスケール感や中身の濃さなど、第1作を超えていたな。
▲2点目同点シーン。飛び上がっているのが小川、15番が鎌田。
ワールドカップ、オランダ戦@ダラス。眠かった。
4:50にアラームをセットして寝た。さらに寝坊・寝落ちも想定して、録画予約もした。
が、いったん4:50に目覚めたものの二度寝(^^ゞ 次に起きたら5:30すぎ、すでに前半2/3は終わっていた。スコアは0-0。
そのままハーフタイムまで寝ぼけまなこで観て、また寝落ち。後半冒頭は記憶があるが、目が覚めたら終わっていて、なんやらかんやら解説していた。勝ったのやら負けたのやらも不明。
もーええわ、とそのまま寝る。8時半ころ(?)に起き、ネットでニュースを見ると「勝ち点1」という文字が目に入った。
おお~、ドロ~か。負けなくてよかった。スコアは2-2。
今度はちゃんと起きて、メシ食ってシャワー浴びて、録画をきっちり観た。
今日は、われらが"まえだだいぜん"先発!!
本田さんの大阪弁なまり(摂津出身)の解説、いいね~(^^♪ テンポはいいし、とても分かりやすい。
そして今日も「まえださんと、上田さんと、タケで」とか、久保建英以外は「さん」付け。
「(鈴木)彩艶さん」「上田(綺世)さん」他、呼び方が気になって最初ゲームに集中できなかった(笑)
前半は0-0で、後半に入ると、オランダ→日本(中村敬斗)→オランダ→日本(鎌田大地←小川さんじゃないのか...)と取られては追いつきの連続。上にも書いたように2-2のドローで、勝ち点1ゲットン(^^)v
詳細はこっち。
次は21日(Sun)13:00~のチュニジア戦。今度はリアルタイムでちゃんと観ます(爆)
それにしてもダラスのスタジアムの日本人、めちゃ多い。なんだか日本で寝落ちして録画で観てるって、現地観戦のみなさんに失礼な気がしてきた(;^_^A
台湾一周の【8日目】できました。よろしければご覧くださいませ。
今日は、これまた先日の大和侵攻・郡山攻めの折、大河ドラマ館の売店でお買い上げの豊臣プリントクッキー 870円を食らいながら「豊臣兄弟!」を観ておった。
3種類×4=12枚入り。
バター風味が意外と効いていて、なかなか美味うござる。お勧め。
ただ、プリントのQualityはクッキー地だとこのあたりが限界か。
大河ドラマのほうは「さらば半兵衛」。
その半兵衛、死のシーン。今までの大河で、竹中半兵衛の死をあれほど濃く美しく描いた作品はなかった。マジ泣いた。
それにしても、菅田半兵衛は最後まで諸葛亮に被せていたなあ。星落秋風五丈原的な最期(意味不明(^^ゞ)
先日、と言っても2~3か月ほど前だが、なんだかんだとオケ関係の調べもの・検索していたら、なんとっ、和歌山にプロオケがあることが判明\(◎o◎)/!
和歌山フィルかあ(^^♪ 2022年創立。編成は過去の写真を見る限り、20人前後で1管編成!?
活動実績を眺めてみると、ガチ・クラシックの定期演奏会のようなものはほぼなし。
ひょっとして「シンフォニック・コンサート」がそれに該当するのかな?
次回は11月3日、2年ぶりの第2回目(・・;) メニューは皇帝とブラ2という、「大丈夫かよ!!」な2曲である(失礼(^^;))
その他創立以来開かれたコンサートは、親子・子ども向け、初めてのオーケストラ、ファミリーコンサート的なものが大半である。
それはそれでいいことで、日本の将来を考えると理想だとは思うが、「団体の運営」という観点からどうなのだろう? スポンサー企業も質・量ともに心もとない。
まだ創立4年目なのでそんなものかな。
しかし、上に書いた「第2回 シンフォニック・コンサート」はちょっと興味あり。紀州遠征してみようかとは思うものの、チケットが3,000円。ビミョーな価格設定だな。
ネット上に音が落ちていないため、オケのレベルも謎だし。
それに和歌山って遠いんよ。くろしお号に乗ればいいが、そうすると片道でチケット代と同じくらいかかる(爆)
まあ、まだ先なので、ゆっくり検討しよう(笑)
▲1991年7月10日の第一刷。”もったいない”本舗さんで元値420円→古本259円でお買い上げ。
父・夏目漱石
https://item.rakuten.co.jp/comicset/4167540010
著者の夏目伸六は漱石の次男である。
ちなみに長男の夏目純一が東京交響楽団(今の東フィル)のばよりん弾きだったのは、漱石好きなクラオタの間では衆知の事実。
解説を書いているのは、漱石の孫娘婿の半藤一利である。
その伸六氏が文豪・夏目漱石について書いた本だが、9歳の時に父・漱石は死去しているので、夏目漱石に関する直接の記憶は子どものそれ(半藤一利氏も解説で「父その人の本質をつかむにはあまりに幼すぎる」と書いている)で、細かい話の部分は母・姉・伯父からの聞き書きが基本になっている。
とはいうものの、実子の話だけあってひじょうにリアルでおもしろい。
とくに9歳までの子どもの頃に接した父・夏目漱石の印象が書かれた部分は、漱石死後の家族・親戚からの伝聞の部分より、余計な情報・先入観がない子ども特有の感性で、夏目漱石の本当の姿を伝えているのではないだろうか。
そしてさすがは漱石の息子、文章も上手いなあ(ってか、落ち着いている。硬いかも)と思っていたらカバー扉の著者紹介に「随筆家」とあった。プロとは存じ上げず、失礼しました(^^ゞ
いままで漱石本はいろいろ読んできたし、あっちこっちから話を聞いているが、そのいくつかはこの『父・夏目漱石』が元になっているようだ。「このまんまの話、聞いたことある」みたいなところがいくつもあった。
カテゴリーは「エッセイ」なので、いろんな話が出て来るが、とにかく登場人物が多い。
そもそも漱石一家だけでも夫婦+子供7人(男×2、女×5)と橋下家並み。それに漱石の兄弟とその両親(伸六氏の祖父母)も登場するが、祖母(千枝)についてはその生れから、姉妹(漱石の叔母・伯母)の嫁ぎ先の話まで出て来る(「漱石の母とその里」の章)。まるでファミリー・ヒストリーである。
読んでいて血縁関係がぐちゃぐちゃになってきて、巻末に系図を載せてほしいと思ったくらい。
さらに弟子(どこまでが弟子だか分からないが)も鈴木三重吉・寺田寅彦・小宮豊隆・森田草平・内田百閒(このあたりまでは聞いたことがある名前)、その他いろんな人の名前があらわれる。
「父と中村是公さん」の章は、東大予備門時代からの付き合いの満鉄総裁・中村是公(いわゆる「なかむらぜこう」)の話だが、おもしろすぎる。
ちなみにこの中村是公、小学校の時に読んだ偕成社の伝記「夏目漱石」にもしっかり登場していて、よく覚えている名前である。それにしても、小学生向けの本に中村是公を持ってくるあたり、偕成社のあのシリーズはやっぱりおかしい。
その中村是公に漱石が「南満州鉄道会社って一体なにをするんだ?」とド直球な質問をし、「お前も余程馬鹿だなあ」と返されるシーンは、久しぶりに読んだがウケた。
また別の時には、逆に中村是公が漱石に「いったい貴様は新聞記者だっていうが、何を書いているのだ」というのも再ウケ。
そういう是公氏と漱石の関係を「当時の父が、常に対等と附合い得た唯一の友は是公さんだけであり...(以下略)」や「是公さんにとって「猫」の漱石でもなければ、「草枕」の漱石でもなかった。それは昔二畳の部屋で肩を並べて同じ釜の飯を食った、単なる「夏目金之助」にすぎぬので、...(以下略)」と、ある意味では文豪・夏目漱石を雑に扱う中村是公の姿が目に浮かんでおもしろい。
漱石を「お前、お前」と呼び捨てにする相手はおそらく中村是公氏以外にはいなかった、と伸六氏は書いている。
漱石の癇癪持ちの話は有名だが、それが家族の目から書かれるとなかなかすごい。今の時代なら完全にDVか虐待。
しかし、個人的にこの本の肝だと思われるのは、漱石修善寺吐血事件から死去までの部分かな。
前述の半藤一利による『漱石先生ぞな、もし』では松山・熊本時代の話がウエイトをしめたが、この本ではそのあたりはほとんど書かれていない。
あと、伸六氏の9歳の時に漱石が死去していることもあり、かわりといってはなんだが、母・鏡子夫人(「鏡子」が変換候補になかなか出て来ない)について詳しく書かれている部分は、「へぇ~、そうやったんか」な感じで興味深く読んだ。
とくに最後の二章「母のこと」「墓標の下」あたりがそれに該当する。
「悪妻」と言われている(←というのはよく知らなかった)母・夏目鏡子を、弁護しているとまでは行かないが、息子としてその姿を正確に伝え、「悪妻」呼ばわりの元についても意見を呈している。
ちょっとヘンな言い方だが、全体にわたり知っている人は知っているのだろうが一般のフツーの漱石ファンでは知らないような「小ネタ」がいろいろ書かれていて、雑学にもならないどーでもいい要らん知識がどんどん入ってくる本である(笑)
台湾一周の【7日目】できました。お時間ありましたらご覧ください。
先日の大和侵攻・郡山攻めの折、大河ドラマ館の売店で「戦国めし 大和みそ」をお買い上げ。1,080円也。
▼これですな。
大河ドラマ館売店にはあと織田信長と豊臣秀吉しかなかったが、徳川家康もあるのか。
瓶裏ラベルの「製造者」には「べっぴん奈良漬」とあり。お名前はかねてより伺っておったが、初実食(たぶん)。
奈良漬けと味噌をぐちゃぐちゃっとしたような味(まんまやん(^^ゞ)
まずはド直球で炊きたてご飯にのせて食うてみた。美味くないはずがなかろう(笑)
「兄者、メシがすすむのう!!」「小一郎のゆうとおりじゃ」(爆)
台湾一周の【6日目】でけました。よろしければご覧ください。
新世界のMASUDAで定期散髪後、昼ごはん。
う~む、ベタな新世界ではありえないような、オシャレな焼肉屋さんだった(^^♪
店内は広いし、スタッフのみなさんも明るく丁寧。いいね~
ご注文はランチメニューの焼肉定食 1,780円→Vポイント 180ポイント利用で1,600円也
ごはんは大・中・小、どれでも値段同じ。「足りなかったら言ってくださいね」とのことなので、とりあえず中でよろしく。
肉は日替わりらしい。今日のは赤身で、柔らかかったね~ ひょっとしてハラミか? ハラミだとガックシなので聞かなかったが(笑) 肉自体の味はまあフツー(^^;)
ごはんもおかわりして、ごちそーさまでした。
「焼肉」を冠する店名なので焼肉食ったが、食べログコメント見るとハンバーグの方が人気っぽい(^^ゞ 次回はハンバーグだな。
バックパッカーの心(だけではなくリアルも)のよりどころ、「旅行人」がとうとう活動を終了した(泣)
5月19日には、蔵前仁一氏から「旅行人読者のみなさまへ」というタイトルで活動終了あいさつが発信された。
その「旅行人終了、最後の大バーゲン 2026年5月9日(土)~18日(月)」で、記念とお礼の気持ちを込めて「RYOKOJIN-Tシャツ」お買い上げ。送料込み2,800円也。
在庫一掃セール品ではなく、旅行人終了記念で新しく作られたTシャツである。
ただ、予想通り「最後の大バーゲン」で注文大殺到していたらしい。
注文したのが5月18日。なかなか届かないので、念のため確認したのが5月26日。
すると「ただ今、5月11日分の発送をしております。一気に大量の注文が届き、がんばっておりますがまだまだ進行中です。5月18日注文ですと、発送は6月に入ってからになりそうです。」と返信あり。
そして一昨日、6月6日に到着。御多忙中ありがとうございました。
個人的には、「旅行人」には80年代後半からいろいろお世話になった。
そもそも今とは「個人旅行」の定義が異なり、当時の個人旅行は基本的にはエアオンリー(往復航空券のみ)で、その他交通機関は現地調達、宿はアポなし飛び込みという、なんとも雑な旅行の全盛期だった。
しかも現地の情報(移動・宿・物価など)は実際に行った人の話が主要入手先であり、SNSなんかない時代、メーリングリスト(ML)が大流行していた。そしてそのMLのオフ会なるもので、いろいろ話を聞いたものだった。
そんなメーリングリストには、「頭おかしいんじゃね?」と思うような、とてつもない強者が何人もいた(爆)
その他、やはり「紙」による情報は重宝していて、その最たるものが「旅行人」と「歩き方」だった。
「歩き方」も今ではふつうの旅行ガイドに成り下がってしまったが、まだ背表紙以外の紙の部分が青かったころは、おっそろしく濃いガイドブックだった。出版社による情報よりも、渡航者の投稿による生々しい情報で一冊が出来上がっていた。
「旅行人」はさらに生々しく、「遊星通信」から「旅行人」へと変化(進化? 発展?)したが、その定期刊行物の迫力はすごかった。
あー、アナログ全盛の懐かしい時代だった。
最近はネットで最低でも数時間前には予約入れるので、かつてのような完全飛び込みで「部屋ある?」みたいなことはなくなった(今でも無くはない)。当時は宿の方も「飛び込み慣れ」していて、フロントで予算・日数をいうと、ホイとカギを渡され「部屋、見ておいで」という流れだった。
なんと、実際に部屋を見て泊まるか泊まらないかを決めるという方式が、日本以外のほぼ世界中でまかり通っていた。ただし安宿のみ。
ロンドンのB&Bですら、ドアに"VACANCY"(空き部屋あり)という札がかかっていた。
そんなスタイルを最後に経験したのは、2004年の広州・香港。その後、一回グアムに行った以外はずーっと海外旅行ごぶさたしている間に、エアオンリーで飛び出していく人間は絶滅危惧種となり、バックパッカーという言葉も古文の領域に入っていた。
なんだかなー、最近はドミも小ぎれいになったし、いろんな国の宿泊者同士でメシ食いに行くこともないどころか、会話・挨拶すらしなくなった。
インターネットもメール主体の時代はまだしも、SNSが一般化してから海外旅行文化もかわったよなあ。
という具合に、「旅行人」終了でいろいろ思い出したのであった。