摂津國八十八ヶ所 第三十番 竹林寺 | imachanのお参り

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平成30年の初詣に藤森神社の御朱印を頂いてから御朱印収集にハマってます。お参りした神社仏閣と御朱印を紹介します。

この日は午前中、血液内科の受診でした。

白血病のことよりも治療の時に使用したステロイドや免疫抑制剤による慢性GVHDの検査です。

腎臓の数値がやや改善されてましたが、油断は禁物です。

病院の会計が終わったあとに竹林寺さんへ電話を入れてから歩いて向かいました。

四天王寺さんの東門の交差点から東へ少し入ったところに石碑がありました。



ここは、小儀宮趾です。


小儀神社は、聖徳太子が創建された天王寺七宮のひとつです。


小儀宮趾から数メートル歩くと竹林寺に到着しました。
竹林寺は天保2年(1645年)、上方代官・鈴木重成公の命により法善寺の南隣に「浄業院」として開創されました。
当初は道頓堀垣外に住む転びキリシタンなどの寺請制度による菩提寺とされた。
その後、浄土宗一心寺の末寺となり「松園山浄業院竹林寺」と称した。
竹林寺のすぐ南隣は明治初期まで刑場、焼き場、墓地のあった場所で、寺伝には竹林寺 の歴代住職が処刑された者たちや無縁仏の菩提を弔ったと伝わる。また「千日前」の名称は法善寺や竹林寺で寛文年間より行われていた千日回向から、両寺を千日寺と呼び、千日寺の前という意味で千日前となったとの説がある。


竹林寺の境内には本堂のほか大師堂、観音堂や大師の井戸などがあって、七墓詣り、観音詣り、大師巡りなどの参詣者でにぎわった。
しかし、大阪大空襲により諸堂焼失。
戦後鉄筋コンクリートで再建するも、昭和45年には都市計画による千日前通りの道路拡張のため境内地が縮小されたため、当時は珍しい地上8階・地下3階建てのビル建築寺院となった。
長年「千日前のお大師さん」として人々に親しまれたが、平成20年(2008年)に、ここ天王寺区勝山(四天王寺の東隣)に移転しました。

〜摂津國八十八ヶ所巡礼公式サイトより〜


御本尊の阿弥陀如来様に外からお参りしました。

🙏



地蔵堂








御本尊の御朱印いただきました。


竹林寺の帰り四天王寺さんへ行くか迷いましたが、通り道なのでやっぱり行くことにしました。


次回、四天王寺さんです。
中心伽藍がお彼岸で無料開放されてました。