境内を掃除されていた宮司さんに大阪大空襲で残ったのが、この神輿庫と
空襲後の瓦礫の中の鳥居が印象的な白黒写真でした。
郡戸王子(こうとおうじ)推定地の碑
郡戸王子は、熊野古道九十九王子の三番目の王子、「摂津誌」には西成郡比売古曽神社の項で「御幸記、これを郡戸王子と謂う」とある。
高津宮は現在の大阪城の地にあったが豊臣秀吉築城の際に比売古曽神社の社地に遷座したと伝わることから郡戸王子跡と推定される。
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比売古曽神社
御祭神 下照姫命(子受けの神)
木谷蓬吟・千種先生之碑
木谷蓮吟は浄瑠璃研究の第一人者で「近江松全集」全十六巻や「郷土趣味大阪人」を刊行。
昭和九年(1934)に近松研究会を創立した。
木谷千種は文部省美術展覧会、帝国美術院展覧会で活躍し、八千草会を設立して女性画家育成にも尽力した。
大阪を愛し、郷土の文化芸術に貢献した2人の碑は近松研究会が、近松門左衛門の墓所で同研究所が開かれた谷町ハ丁目の法妙寺に建立したが、谷町筋拡張による移転で近くの本政寺で保管され、平成十八年四月に沢山の方に見てもらうよう高津宮に移されました。
石燈籠に菊の紋があります。
高津宮の御朱印