日本三景 天橋立 | imachanのお参り

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平成30年の初詣に藤森神社の御朱印を頂いてから御朱印収集にハマってます。お参りした神社仏閣と御朱印を紹介します。


観光船一宮のりばのすぐ前の宿(神風楼)まで天橋立を縦断します。


スタートの廻旋橋に割れ目があるのは、船が来たとき橋が回転して航路をつくるためです。
昔~昔に、橋が回転してるところを見た記憶があります。


日本三景の碑


その道向かいには日本の道100選の碑


お地蔵さまがおられました。


大天橋を渡ります。


トイレ休憩!
現在地はここらへんです。


与謝野寛と晶子夫妻の歌碑
「小雨はれ みどりとあけの虹ながる 与謝の細江の 朝のさざ波」寛
「人おして 回旋橋のひらく時 くろ雲うごく 天橋立」晶子
与謝野寛と晶子夫妻は寛の父親の出身が加悦ということもあり、たびたび天橋立に来られ沢山の短歌を作られ、寛亡き後、晶子ひとりで天橋立に来られたそうです。
天橋立が御夫婦にとっての思い出の地のようです。


次は岩見重太郎試切之石
刀で石を斬ったみたい。
ルパン三世の石川五右衛門か!


さっくりと斬られた石の上に1円玉を乗せるといつまでも一緒にいられるというそうです。


🚶🚶🚶


岩見重太郎仇討ちの場
剣豪として名高い岩見重太郎が、父の仇として広瀬軍蔵、鳴尾権三、大川八左衛門の三人の仇討ちをしたと伝えられている場所です。
岩見重太郎は、三人を追って丹後の宮津に来ましたが、三人は重太郎を恐れて領主京極家に隠れていました。
そこで、京極家に乞うて仇討ちを許され、1632年9月20日天橋立の濃松において三人を討ち倒し、ついにその本望をとげたと伝えられています。
なお、岩見重太郎は薄田隼人と同一人とされ、豊臣家の家臣であったが、大阪冬の陣では大いに戦って名をとどろかし、夏の陣で惜しくも戦死したといわれています。
(天橋立観光ガイドのサイトから引用)


道端に大砲が横たわっていました。


この大砲は、海軍思想普及のため大正12年5月2日海軍大臣より下付されたものです。
名称   「四十口径安式十五センチ砲身」
製造会社 「イギリス アームストロング」


与謝蕪村の句碑
「はし立や 松は月日の こぼれ種」


句碑の後ろに見えるのは天橋立神社です。


ここには書いてませんが、恋愛成就のパワースポットとして人気の場所みたいです。


境内の狛犬さん


どちらも年季入ってます。


名水百選「磯清水」
周りを海に囲まれているにもかかわらず真水が湧いている不思議な井戸として神社のお参りの際、手水として利用されています。
(飲むことはできません)


天橋立神社の境内横に足の長~い灯籠がありました。
こんな形あまり見た覚えがありません。


さらに進むと御休憩の碑
明治40年、大正天皇が皇太子時代に天橋立に上陸され、御休憩されたところです。




あと1.5キロ
まだ半分きてません。


芭蕉の句碑
「一声の 江に横たふや ほととぎす 」


🚶🚶🚶


松の木に色んな名前がついてます。
こちらは、「阿蘇の松」
阿蘇海側の代表的な名松です。


「羽衣の松」


🚶🚶🚶


対岸の町が近くなってきました。


松並木終点です。


終点に全国健称マラソン発祥の地の碑がありました。



海岸線を行くと


一宮の観光船のりばに着きました。




ここが今日のお宿の神風楼


夕飯は、やっぱりカニ 🦀


陶板焼きです。


お腹いっぱいいただきました。😋
次の日は、成相寺です。