西国三十三観音霊場第二十八番札所 成相寺 | imachanのお参り

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平成30年の初詣に藤森神社の御朱印を頂いてから御朱印収集にハマってます。お参りした神社仏閣と御朱印を紹介します。


成相寺にはケーブルカーで笠松公園まであがり
そこからバスに乗ります。
お得に行く方法はないかと調べたところ、観光船とケーブルカーがセットになった笠松観光券を買うと割引特典として成相寺までの往復バス代金と成相寺の入山料が通常1,120円のところ800円で行けることがわかり当然、利用させていただきました。


このケーブルカーに乗って笠松公園へ


笠松公園駅のホームから見た天橋立


股のぞき台


股のぞきした天橋立


冠島沓島遥拝所
由緒板によると、冠島と沓島は元伊勢籠神社の海の奥宮であり、籠神社の祭神・彦火明命と市杵嶋姫命が降臨されました。
彦火明命は豊受大神を祀って丹後丹波から開拓し、市杵嶋姫命は航路安全を祈り両神とも国の発展に貢献しました。


「かさぼう」は、天橋立の創造とともに生まれた妖精です。


ハート型の落ち葉


バスに乗って成相寺へ出発です。
細い山道を約7分🚌


途中、山門で降りる人はいませんか?と聞かれましたが、帰りによるほうが体に優しいと判断して終点の成相寺まで降りることにしました。
現在地はここです。


まず最初は、「撞かずの鐘」です。
寺に新たな梵鐘を造ることになり、近隣住民に寄進を求めたところ、裕福そうな女房が「子供はたくさんおるが、寺へ寄進する金はない」と断った。やがて鋳造の日、大勢の見物人の中に例の女房も乳飲み子を抱いて見物していた。
そしてあろうことか誤って銅湯の入ったルツボの中へ、乳飲み子を落としてしまったのだ。
鐘は見事に鋳上がったが、撞いてみると乳飲み子の悲しい鳴き声が聞こえてくるので、人々は乳飲み子の成仏を願い、この鐘を撞くことを止めた。以後、〝撞かずの鐘〟と呼ばれるようになったとさ。


撞かずの鐘から石段を少し上がった左側にあるのは、「一願一言地蔵」
唯一願を一言でお願いすれば、どんな事でも叶えてくれるというお地蔵さまです。
安楽ポックリの往生も叶えられると伝わる約650年前に創られた古いお地蔵さまです。


お地蔵さまの奥の巡礼堂は、西国三十三霊場の各御本尊が安置しています。


もう少しで本堂です。
~由緒~
成相寺は真応上人の開基または聖徳太子とも伝えられています。元々は日本古来の山岳宗教の修験場で、日本全国にある五つの「聖の住む所」の一つとして信仰を集めています。お寺が開かれた時代は不明な所が多いですが、いにしえより願いが叶う寺として全国に広まり、慶雲元年(704)に文武天皇の勅願寺となりました。

石段を上がり左に行ったところの鉄湯船で清めます。


二匹の龍が絡み合い凄い迫力の手水です。


本堂へ向かいます。
御本尊は〝身代わり観音〟〝美人観音〟として名高い聖観世音菩薩です。


お線香とロウソクを献灯し、般若心経🙏~


左甚五郎作「真向きの龍」
右から見ても左から見ても自分の方を見ているように見えることから「真向きの龍」と言われています。


本堂の右側に十王堂


権現堂


権現堂横の灯籠の中に可愛いお地蔵さまが入れられていました。


本堂から弁天山展望台へ向かう途中の五重塔


かわらけ投げ
願いごとを書いたかわらけを弁天山展望台から投げて遠くに飛ぶほど、その願いがより良い叶うと言われています。


三投ともまあまぁ~の飛距離でした。


かわらけを投げ願をかけた後は、奇怪な話の底なし池にある弁天様に願いが叶いますようにお参りします。


五重塔の下を横切り山門へ向かいます。


山門の裏側です。


仁王像の説明


仁王像は南向きの立姿でありまがら顔面は斜めになっていて山門中央の通路に厳しい視線をなげつけています。参拝者の視線と仁王様の視線が合致する一瞬、何らかの緊張感をあたえるような創りになってます。








龍の彫刻


扁額の下に猫のような虎の彫刻がありました。


バスがすぐそばまで降りて来てましたので、山門はバタバタと撮りまくりましたので、曲がってる写真ばかりになりました。


西国三十三観音霊場第二十八番札所の御朱印いただきました。
西国観音霊場、残すは華厳寺だけになりました。😊


次は、成相山を下山して丹後一の宮 元伊勢・籠神社へ向かいます。