善峯寺から車で約5分!
善峯寺から下っていく道沿いに十輪寺はあります。
創建は嘉祥三年(850)文徳天皇の御后染殿皇后(藤原明子)の世継誕生を祈願し、めでたく皇子御隆誕、後の清和天皇になられたことから文徳天皇勅願所となる。
その後藤原北家(花山院家)が帰依され、一統の菩提寺とされました。
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山門の右側からお邪魔します。
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こちらの受付で拝観料を支払います。
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ここから入ります。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20191022/12/osaka-no-ossan-no-blog/53/8d/j/o1080072014620956892.jpg?caw=800)
業平紅楓(なりひらもみぢ)
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大楠樹(おおくすのき)
樹齢800年、本尊が樟で造られているので、その分身としている。伝説によると、地蔵菩薩の神力で一夜にして大楠樹にならしめたというので、願掛け樟とも呼ばれ御神木とされている。
鐘楼は寛文六年(1666)十月頃の建立で、文化財に指定されています。
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自分で決心がつかず迷っている時、この鐘を撞くと決心がつく不思議な鐘である。
但し、つく方法がある。
これに従わないとご利益はない。
【方法】
1.本尊の前で100円を供えて祈る
2.息を止めて一気に一点をつく
音がなくなるまで息をしない
3.再び息をした時、決着する
もしそれで、できない時は始めから同様に行ってみる極意を要する。
決心つくには極意がいるそうです。😅
本堂
創建当時の伽藍は応仁の乱で焼失し、現存は寛延三年(1750)の再建です。
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屋根は鳳輦形(ほうれんがた)という御輿を型どった非常に珍しいものであり、内部天井の彫刻も独特の意匠が施されている。
本堂から高廊下が業平御殿まで続いてます。
高廊下から出てる木は、なりひら桜!
樹齢は約二百年です。
御本尊は伝教大師御作の延命地蔵菩薩です。
延命地蔵菩薩は、等身大木像の坐像であらせられ、その御腹に巻かれた腹帯で染殿皇后が安産されたことから腹帯地蔵尊と称し、今も子授や安産を願う婦人達の厚い信仰をあつめています。
秘仏で年一回八月二十三日が御開帳日です。
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在原業平朝臣(ありわらなりひらあそん)
六歌仙・三十六歌仙のひとりとしても名前が挙がるほどの平安時代の歌人です。
平城天皇の皇子、阿保親王の第五子で、伊勢物語の主人公とも言われています。
和歌が書いてました。
「ちはやふる神代も聞かず竜田川
からくれなゐに水くくるとは」
清和天皇の女御(元恋人)の藤原高子との恋を思って詠んだ歌らしいです。
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高廊下を渡ります。
茶室
三方普感の庭
寛延三年(1750)右大臣藤原常雅公が本堂を再興した時に造られたもので、高廊下、茶室、業平御殿の三ヶ所から場所を変え、見る人に様々な想いを感じさせる〝癒やしの庭〟です。
本堂から在原業平のお墓と塩竈の跡へ向かいます。
塩竈の跡
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在原業平朝臣塩竈之由来
在原業平が晩年このお寺で閑居され、ここに塩竈を築き難波の海水を運んで塩焼く風情を楽しまれたという。
想い人であった二条后(藤原高子)が大原野神社に参拝される時、ここで紫の煙を立ち上らせて想いを託したと伝えられる。
~以下省略~
洛西観音霊場 第三番札所
御本尊の草分観世音は花山法皇が西国三十三番札所を再興された時、背に負われた観世音を十輪寺に納めたといわれ、おいづる観音とも呼ばれる。
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右の御朱印は、御本尊の御朱印です。
左は洛西観音霊場第三番札所の草分観世音の御朱印です。