約20分で善峯寺の駐車場に着きました。
善峯寺の東門です。
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ここを左に曲がると山門です。
山門(楼門)
江戸時代前期に再建された山門は、見惚れる豪華な造りです。
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楼上の回廊は複雑かつ存在感のある組み物で支えられている。白壁に抜かれた花頭窓は、かつて禅宗寺院でしかみられなかった建築意匠。
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阿形仁王像
燈籠
手水舎
観音堂(本堂)
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~沿革~
平安中期の長元2年(1029)源算上人により開かれました。源算上人は比叡山横川の恵心僧都(源信)に師事して、47歳で当山に入り、小堂に御自作の千手観音を本尊として奉安されます。長元7年(1034)後一条天皇より鎮護国家の勅願所と定められ、「良峯寺」の寺号が下賜されます。長久3年(1042)後朱雀天皇勅命により、洛東鷲尾寺の仁弘法師御作千手観音を当山に遷して本尊とされて、先の観音像を別に祀られました。建久3年(1192)後鳥羽天皇より現在の「善峯寺」の宸額が下賜されました。また白河天皇や後花園天皇により伽藍寄進整備がなされ、後嵯峨天皇や後深草天皇など皇室の御崇敬をうけました。
鎌倉時代には慈鎮和尚や証空上人が住職を勤め、また西山宮道覚入道親王を始め、青蓮院門跡より多くの親王が籠居され、他にも多数の僧の入山により、室町時代には僧坊52に及びますが、応仁の乱により大半の坊が焼失しました。その後、江戸時代には徳川5代将軍綱吉公の生母である桂昌院を大檀那として、現存の鐘楼・観音堂・護摩堂・鎮守社・薬師堂・経堂が復興されて、幾多の貴重な什物が寄進されました。
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お守り納めどころ
平成17年度、桂昌院御延忌法要に合わせ本堂のお守り納めどころを金属工芸作家・小泉武寛氏に制作していただきました。
桂昌院の名前の「お玉」にちなみ、三匹の子犬が「玉の輿」を担いで皆様の幸せを願っております。
遊龍とは安政4年(1857)主幹が地を這うように伸びる巨大な松は、臥龍の遊ぶ様に見えることから、花山前右大臣家厚公により〝遊龍〟と命名されました。
善峯寺は三万坪の境内です。
一週30分から40分と紹介されてましたが、私達は2時間ぐらいかかりました。
次回も善峯寺です。