聖徳太子創建のお寺 平林寺(へいりんじ) | imachanのお参り

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平成30年の初詣に藤森神社の御朱印を頂いてから御朱印収集にハマってます。お参りした神社仏閣と御朱印を紹介します。

宝塚神社のえびす社と天満神社の間の鳥居から平林寺に向かいました。


鳥居の前に小さな狛犬さんがいました。


ちょっと妖怪ぽい?


鳥居から少し歩くと道端に第五番のお札の観音さまがありました。


次は第四番です。
これはひょっとして西国観音霊場?


もう少し坂を下ると鐘楼がありました。


20円を納め鐘を撞くとゴーンと心に響く音が鳴りました。
個人的に鐘を撞くの結構好きです。


第三番


第二番


第一番
これは青岸渡寺の観音さまのポーズですね。


坂を下ると三十三観世音菩薩巡礼道の看板がありました。
やっぱり西国三十三観音霊場でした。


御本堂です。
ご本尊は釈迦如来


今を去ること約千四百年前に、第三十一代用明天皇の命により、聖徳太子が創建されたと伝えられています。
創建後、一時期衰退しましたが、平安時代に入るや、弘法大師の縁に連なる法尼=如一尼によって再建されました。


戦国時代末期の天正六年(1575年)に、有岡の城主荒木村重は織田信長を裏切って毛利氏に寝返ったが、信長の来攻で平林寺がその宿坊に利用されることを恐れて、火を放ち一山寺院ことごとく焼失しました。
この時、平林寺山内の僧侶と檀信徒たちは力を合わせて十一面観音、薬師如来、釈迦如来、四天王の各仏像を秘かに業火から持ち出し釈迦ヶ谷(現在の宝塚高校の近くの谷)に安置して、法難から逃れることが出来ました。


階段の上に行ってみます。


観音堂


観音信仰に燃える花山法皇(968~1008年)は長保二年(1000年)春~同三年冬頃まで北摂の花山院においでになりましたが、観音菩薩に国民の幸福と国の平和を祈願するため、摂津国の観音像を祀る寺々を毎月巡礼されました。
これによって摂津三十三巡礼が定まったのです。


薬師堂
ご本尊は薬師如来


修行大師さまもおられます。


御朱印は山内各院までお越し下さい。と書いてましたが山内各院ってどこやねん?
GoogleMapで検索しても分かりません。😖


こっちかな?
ここは無量寿殿。
境内の中をうろうろしましたが、分からなかったので諦めて宝塚神社に御朱印をいきにもどりました。


宝塚神社から坂道をくだり阪神競馬場に行くために更に正直坂を下りました。


下ったところに宝塚神社の鳥居がありました。
ここが表参道でしょう。


周りにには金比羅社


弁天池があり宝寿院を見つけました。


成就院


西光院


成福院


中をのぞくと


淀姫大明神


淀姫を祀っていました。


鳥居の隣の観音さまは悲母観音さま


アップで撮ってみました。


成就院で摂津國八十八所 第七十三番の御朱印いただきました。


摂津國観音霊場三十三ヶ所 第二番の御朱印もいただきました。


各院の場所が分からなかって御朱印諦めてましたが、阪神競馬場に向かった結果たまたま見つけてラッキーでした。
阪神8レースのパドックまでに着くように急いで歩きます。🚶🚶🚶