若宮八幡大神宮から八劔神社までは、歩いて約15分🚶🚶🚶
西の鳥居に到着しました。
~由緒~
応永のはじめ、鴫野村住民某が夢の中に一人の老翁が現れ、「吾は熱田の神なり、跡をこの地に垂れんと欲す。明日汝等出でて吾を淀川の河辺に迎うべし」とのお告げたので、翌日、村人十数人を呼んでことの次第を語ったところ、自分も同じ夢を見たというものが十人余に及んだ。そこで一同は衣服を改めて河辺に出迎えると、果たして一ぴきの小蛇が河中に現われ、まっすぐこちらに向かって来てやがて岸に上がった。その様の悠々泰然たるを見て、村人は畏敬に打たれ、一同は相従って行くと、小蛇は川を越え堤を経て鴫野村に入った。そして、小蛇が留まった所を見て村人たちはそこに小さな祠を建てて祀った。時に応永3年(1396年)9月22日のことである。(なお、別伝で蛇ではなく、白鳥の伝えもある)
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地車庫
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20190912/22/osaka-no-ossan-no-blog/54/fd/j/o1080072014585701461.jpg?caw=800)
戎神社:事代主命、大国主命
幸神社:産霊神、狭田毘古大神、
奥津比古大神、奥津比賣大神
辨天社:辨財天女、大楠稲生大明神、
楠春稲生大明神
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野神社:宮地神、鹿屋野比賣命
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20190912/22/osaka-no-ossan-no-blog/dc/a9/j/o1080072014585701480.jpg?caw=800)
上杉景勝と思ったら朝日山四郎右衛門。
相撲の朝日山部屋十四代目で、鴫野の生まれの方だそうです。
狛犬さんが、拝殿や鳥居の所じゃなく、こんな端に固まっています。
なんか?意味があるのでしょうか?
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西の鳥居は拝殿の正面ではなかったので、東の鳥居から再度、境内へ入ります。
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![](https://stat.ameba.jp/user_images/20190912/22/osaka-no-ossan-no-blog/5f/9d/j/o1080072014585701513.jpg?caw=800)
正面に拝殿がみえます。
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東之町の地庫庫
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手水舎
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ガラス張り拝殿です。
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御祭神
中御座:八劔大明神
北御座:武速須佐雄大神、
南御座:罔象女大神
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4時以降ならご在宅と事前に電話で確認をして伺いました。
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宮司さんはちょっと近くへ出かけているとのことで、こちらでお待ちくださいと案内された先は社務所の向かい側のこちらでした。
大坂冬の陣 鴫野戦い 上杉景勝本陣地の石碑が前にあります。
中は既にクーラーを付けて下さっていて、私を気持ち良く迎えていただきました。
鴫野八劔神社地車連合会が奉納された、素戔嗚尊が八岐大蛇と対決している?木彫りの額です。
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しばらくお待ちすると宮司さんが来られ、大坂の陣ゆかりの地 朱印めぐりに御朱印いただきました。
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八劔神社の西の鳥居前の城東小学校に「大坂冬の陣 鴫野古戦場碑」があります。
大坂冬の陣で有名な鴫野・今福の合戦は、この付近一帯を主戦場としました。当時このあたりは、旧大和川の支流が分流していて、湿地帯や水田が多く戦闘には不向きでした。慶長19年(1614年)11月26日未明、この辺りを防御していた大坂方の軍勢を徳川方の佐竹義宣・上杉景勝6500人の軍勢が攻撃。戦いは双方の銃撃戦となり、合間に堤防上での激しい遭遇戦があり、29日まで一進一退を繰り返しました。このとき、援軍に来た木村重成や後藤基次(又兵衛)の軍勢との乱戦の末、徳川方がこれを破ったと伝えられています。
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八劔神社から大阪メトロ今里筋の鴫野駅へ行き今里駅から千日前線に乗り換えて谷町九丁目のいくたまさんの彦八まつりを見に行きました。