大坂冬の陣 佐竹義宣本陣跡 若宮八幡大神宮 | imachanのお参り

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平成30年の初詣に藤森神社の御朱印を頂いてから御朱印収集にハマってます。お参りした神社仏閣と御朱印を紹介します。

大阪メトロ今里筋線で今里駅から蒲生四丁目へ向かいました。
駅から歩いて約5分、若宮八幡大神宮の鳥居に到着しました。


ここは大坂の陣ゆかりの地 朱印めぐりに御朱印時間と※不在の場合ありと書いてましたので、電話連絡せずに来たので、ご在宅であると信じて、いざ境内へ。


大笑いしてるような阿形の狛犬さん


口が波打っている吽形の狛犬さん


左側にカラフルな手水舎がありました。


手水で清めようと中を覗くと、こんなん初めてというものがありました。


鯛に乗った恵比寿さまです。


社殿が西向きに建っていることから「蒲生の西向き八幡さま」とも呼ばれる西向きの理由は、御祭神が八幡様として知られる応神天皇の御子、第十六代仁徳天皇であることに由来すると推察されます。


仁徳天皇は浪速を首都の地と定め、大阪に初めて都を築いた天皇。
難波高津宮から浪速の町を眺めた仁徳天皇は、炊煙が立ち上がらない様子から庶民の窮乏を察し、諸税を免除して生活苦を救ったと伝えられている。その仁政と遺徳をしのび、村人らの総意によって社殿を創建。高津宮が西の方向にあったことから西向きの社殿になったとされます。


豊受稲荷社


境内奥には祖霊社


祖霊社の方から見た手水舎


社務所で〝ごめん下さい〟とお呼びすると返事がありました。
ご在宅でよかったです。😁


こちらがいただいた御朱印です。
八幡大神宮の八の字が鳩になってます。


御朱印をいただいてから拝殿の風鈴を撮影しました。


風が吹くと〝ちりーん〟〝ちりーん〟と涼しげな音が鳴り


残暑の中、少しの涼を楽しみます。


大坂冬の陣では、徳川方の佐竹義宣が境内に陣を構えた。「今福の戦い」の主戦場で豊臣方の木村重成と激戦を繰り広げ、この情景を見ていた豊臣秀頼は、後藤基次(又兵衛)に救援に向かわせた。世に聞こえた名将の参戦で豊臣方は勢いづき、佐竹隊は家老の渋江政光が討死。
佐竹義宣は五十~六十騎の旗本とともに後方へと退却した。
窮地に陥った佐竹義宣は、対岸の上杉隊に援軍を乞う使者を送り上杉景勝は水原親憲を派遣。
黒鉄孫左衛門率いる鉄砲隊もこれに続いた。
後藤基次も上杉隊の銃弾を浴びたが「傷は浅手に過ぎず、自分が健在なうちは秀頼公の御運も尽きることはない」とうそぶいたと伝えられる。
対岸の鴫野は徳川方の上杉景勝が制し、今福でも豊臣方は形勢が不利となったことから大坂城へと退却した。


この日の最後は、対岸の鴫野の上杉景勝本陣跡の八劔神社へ歩いて向かいます。