本を引っ張り出してきました。
どの神社に行くか迷いながら読んでいると、地下鉄今里筋線に四ヶ所あるので、そこから攻めようと決めて、一件目の神社は今里筋線と中央線が重なる緑橋駅から徒歩約10分の白山神社へ向かいました。
朱印めぐりの御朱印の受付時間に電話で要確認と掲載されてたので駅から電話を入れて、ご都合をお聞きすると、今から行っても大丈夫と了承をいただき白山神社に向かいました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20190904/06/osaka-no-ossan-no-blog/79/02/j/o1080072014574063931.jpg?caw=800)
白山神社の創建年月は不詳ですが、応永の頃までは中浜、鴫野、森の諸村の氏神でした。
天正四年(1576)本願寺の僧侶、顕如が石山に立てこもり、織田信長と交戦した際に社殿が焼失した。文禄三年(1594)検地帳には「氏神白山権現宮地一反二十四歩除地」と記載してあります。その後、慶長八年(1603)豊臣秀頼が社殿を再建。
かつては千坪もある広大な神社であったようで、古くから端午の日には流鏑馬式を行っていました。
物射馬に縁故があるということで大坂の陣では、徳川方の武将、本多忠朝の陣屋となりました。
~大坂の陣朱印めぐりより~
手水舎
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20190904/06/osaka-no-ossan-no-blog/84/a7/j/o1080072014574063943.jpg?caw=800)
大阪府の天然記念物に指定されているイチョウの大木。
樹齢については不明ですが、由緒書きによれば、慶長19年(1614年)の大阪冬の陣では、東軍の本多出雲守忠朝がここに陣を置き、このイチョウに登って戦況を偵察したと伝えられています。
御祭神は「菊理媛神(くくりひめのかみ)」の一座です。
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)が仲違いした時に間に入って仲直りさせた神様と伝えられており、親子や兄弟、夫婦、友達などの関係を取り持ち、円満にする和の神様です。
拝殿の左側に鳥居がありましたので行ってみると
社務所で御朱印をお願いして待っている間、振り返って拝殿を見ると拝殿の後に大きな木があるのが見えました。
今までかなり神社に行きましたが、拝殿の後から木が見えるのは初めてでだったので奥様にあの拝殿の後の木はなんの木ですか?とお聞きすると、楠の木です。と教えて頂きました。
次の神社は、大阪メトロ今里筋線の今里駅から徒歩約5分の熊野大神宮へ電話で確認してから向かいました。