山崎聖天 観音寺 | imachanのお参り

imachanのお参り

平成30年の初詣に藤森神社の御朱印を頂いてから御朱印収集にハマってます。お参りした神社仏閣と御朱印を紹介します。

離宮八幡宮からJR山崎駅を超えJRの踏切を渡りまっすぐ行くと豊臣秀吉が明智光秀との「山崎の戦い」での勝利を記念してわずか一晩で建立したという伝説が残る三重塔(一夜之塔)のある宝積寺(ほうしゃくじ)ですが、時間もないので次の機会に行くことにします。


右へ線路沿いの道を約5分ほど歩くと山崎聖天と天王山登山口の石柱がありました。


登っていくと稲荷神社がありました。


稲荷神社を過ぎて山道沿いの階段を上っていくと仁王門。
扁額は山号の妙音山です。
~由緒~
開基は寛平法皇(宇多天皇)、昌泰2年(899)に創建されました。



阿吽の仁王像


阿形


吽形


めちゃめちゃ急な階段を上がると境内です。


手水舎は龍口でした。🐲


御本堂



御本尊の十一面千手観音菩薩は聖徳太子の作です。


大灯籠は住友家四代友信氏が別子銅山で採取した銅で、元禄十年に奉納されたものです。


歓喜天の鳥居


歓喜天(聖天)を祀る聖天堂です。
歓喜天は、財宝や子宝、安産を祈願して祀られる仏教の護法神です。


江戸時代に、商売繁昌や家運隆盛を祈願して、住友家や三井家、鴻池家など名だたる豪商をはじめとする商人らが厚く信仰しました。
御本尊の十一面千手観音よりも歓喜天が有名になり、観音寺は山崎聖天と呼ばれるようになりました。


大笑いの狛犬


胸の筋肉隆々です。


光明殿
御室仁和寺より拝領したもので大正十三年までは浴油堂といい、浴油供が修されていました。
現在では勅使寺の時の天皇、即ち後水尾、明正、霊元、中御門天皇の御位牌と東山天皇の坐像、家康公の像が奉祀されています。


鐘楼堂


釣鐘は桂昌院の奉納で、まわりに四仏の種子があります。


薬師堂


宝篋印塔


残念なことに御不在のようで御朱印は諦めて帰ろうと思いましたが、仁王門の階段を上がった所に軽トラがあったのでダメもとで庫裏の扉を開けて声をかけると、おばあさんがおられて御朱印いただけますか?とお聞きすると奥に行かれて〝こんなんでよろしい?〟とリーフレットとカラーコピーされた御朱印と歓喜天の巾着の形のお菓子を持ってきてくれました。
ありがとうございます。とありがたく頂戴いたしました。


二十歳の頃に花見をした斜面の土手のような所を探しましたが、境内以外は斜面だらけで、どこで花見したのか思い出せませんでした。😅
花見の季節に行くと思いだすかもしれませんね。
三十数年ぶりの懐かしい水無瀬・山崎のお参りは以上です。