阪急電車大山崎駅から西国街道を西へ徒歩約3分!離宮八幡宮の東門が見えてきました。
東門を右へ曲がるとすぐJR山崎駅です。
西国街道も30数年前に、よく通った道で離宮八幡宮は、その当時は国鉄の山崎駅の近くの道沿いにあったなぁ~ぐらいの記憶でした。
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~由緒~
貞観元年(859年)に清和天皇が、神託により国家安泰のため宇佐神宮から分霊し平安京の守護神として奉安することとし、その時に九州に使わされた大安寺の僧行教が帰途山崎の津(当時の淀川水運の拠点港)で神降山に霊光を見、その地より石清水の湧いたのを帰京後天皇に奏上したところ、国家鎮護のため清和天皇の勅命により「石清水八幡宮」が建立されたのが始まりとされています。
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社号標
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20190827/18/osaka-no-ossan-no-blog/83/e5/j/o1080072014554092067.jpg?caw=800)
惣門から境内に入ると正面に鳥居がありました。
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手水舎は龍🐲です。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20190827/18/osaka-no-ossan-no-blog/ef/b3/j/o1080072014554092090.jpg?caw=800)
誰かの像がありました。
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油祖像
山崎の油売りは山崎石清水八幡宮の神人(雑役、力仕事をする人)として八幡宮の燈油を納め、日使神事(八幡宮の例祭)の頭役、御綱引き(淀川を渡る船を引く)といった奉仕をし、その代償として八幡宮の保護を受け油座(同業者組合)を結成し、関所の通行料や津(港)の使用料免除などの特権、製油独占権を得ました。
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惣門入って右手に神領境標石
現存している標石は2基ですが、おそらく元は境域の東西南北四に立てられていたものであろうと考えられます。
その隣は神馬
塔心礎(扇形石・かしき石)
五重塔など木造塔の中央に立つ心柱を支える礎石のことです。
形状から製作年代は奈良時代以前のものと考えられています。
拝殿です。
本殿に応神天皇(おおじんてんのう)
左殿に酒解大神(さかとけのおおかみ)
別称大山祇神(おおやまつみしん)
右殿に比売三神(ひめさんしん)
をお祀りしています。
二礼二拍手一礼🙏