コスモス寺 般若寺 | imachanのお参り

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平成30年の初詣に藤森神社の御朱印を頂いてから御朱印収集にハマってます。お参りした神社仏閣と御朱印を紹介します。

薬師寺から西ノ京駅へ行き、近鉄電車で近鉄奈良駅、そこから奈良交通バスの青山住宅行に乗り約10分の般若寺バス停からすぐの般若寺に着きました。
こちらの受付で拝観料を支払い境内へ入ります。

境内に小さな蓮の花が咲いてました。


「カンマン石」
カンマンは不動明王を象徴する種字(梵字)です。この石の突起部にお腹や背中を押しあてると健康が増進します。


カンマン石の上に不動明王さまがおられます。


御本堂


般若寺型石灯籠(鎌倉時代)
別名文殊型ともいう豪華な蓮台、宝珠など各部が装飾性に富む名灯籠。
火袋には唐獅子、牡丹、鳳凰の彫刻があります。


御本尊は「八字文殊菩薩騎獅像」
文殊師利は般若経を説いた智恵の菩薩。
元亨四年(1324年)、後醍醐天皇の御願成就のため、文観上人が発願し大仏師康俊・康成、施主藤原(伊賀)兼光らとともに造顕した。


なりきり文殊パネル
獅子の上に座って文殊さんになって写真を撮ろう。
好きな場所に持って行くこともできますよ。


踏み蓮華石
鎌倉時代、文永四年(1267年)西大寺叡尊上人によって造顕された丈六仏の文殊菩薩騎獅像の数少ない遺品で、塑像の獅子が踏んでいた蓮華石。


十三重石宝塔
奈良時代、平城京のため聖武天皇が大般若経を地底に収め塔を建てたと伝えるが、現在の塔は東大寺の鎌倉復興に渡来した宋人の石大工・伊行末(いぎょうまつ)が、建長五年(1253年)頃再建された。


四方仏には東南西北に薬師、釈迦、阿弥陀、弥勒の顕教四仏が彫刻されています。


西国四十九薬師霊場第三番


石塔薬師


楼門
真言律の宗祖、叡尊上人らによる鎌倉再興伽藍(文永四年)回廊西門。
正門は南大門、中大門であったが戦国の兵火で失われ、寺中を貫く京街道に面した楼門のみが保存された。


建築様式は和様に天竺様(大仏様)の意匠が取り入れられ、美しく軽快な屋根のそりを見せる。楼門遺構としては日本最古の作例です。


霊石「まかばら石」
この石はいつの頃から境内の片隅にあって人の運気を上昇させるという霊験があるといわれ大切に守られてきました。
「オン・マカバラ・ウン」の呪文を唱え石の頂きを右回りに三回撫でてください。
名前の由来は光明真言にあり「オン アボキャ ベイロシャノウ マカボダラ マニ ハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン」を略して「オン・マカバラ・ウン」と言います。


釈迦如来


阿弥陀如来


「平重 供養塔」
平清盛の子・重衡を大将とする大軍が東大寺などを焼き払った歴史的大事件。
南都焼討ちの際、般若寺も全ての伽藍を焼失してしまいました。

平家滅亡後に、源氏側に軟禁されている重衡は木津川畔で斬首され、般若寺の門前でさらし首にされたと伝えられます。


笠塔婆
宋人石工伊行吉が弘長元年(1261年)に父伊行末の一周忌にあたり、父母の供養のために建立。


西国三十三所 観音石仏
元禄十五年(1702年)山城国北稲八間の寺島氏が病気平癒の御礼に奉納。




鐘楼


般若寺本性房の力石


・もてる女石 二十キロ
・もてる男石 三十キロ
・もてない石 五十キロ


大河ドラマ平清盛で山本耕史が演じていた藤原頼長の供養塔がありました。


ここからは境内のコスモスをご覧下さい。














御本尊文殊菩薩の御朱印いただきました。


はさみ紙は文殊菩薩


こちらは、ぼさつの寺めぐりの御朱印です。


御朱印の種類は豊富で、あと西国薬師霊場と関西花の寺や舎利宝塔コスモス挿絵入、秘仏公開時限定御朱印があるようです。

次は秋にお参りに行こうと思います。