宇治古刹 朝日山恵心院 | imachanのお参り

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平成30年の初詣に藤森神社の御朱印を頂いてから御朱印収集にハマってます。お参りした神社仏閣と御朱印を紹介します。

宇治川沿いを上流へ歩くていると源氏物語宇治十帖モニュメントがあります。

『源氏物語』第51帖<浮舟>にて、匂宮が浮舟を小舟に乗せ宇治川の対岸へと連れ出す場面をモチーフとされています。


しばらく歩くとここは?
宇治茶の郷の石碑があり、その後の藁葺き屋根の建物と白い建物は、福寿園宇治茶工房。
宇治茶文化の伝承の地です。


ここを左へ上がって行くと恵心院です。


坂を上がったところに弘法大師「南無大師遍照金剛」🙏
ここを右へ上がります。


楼門です。
「恵心僧都説法遺場」の石碑


左の張り紙には「入山無料 但し、本堂は拝観謝絶 来院されたら先ず、本堂へお参りしてから境内散策をして下さい 住職」と書いてます。


そのとおり先ず、御本堂へ向かいます。
御本堂はご覧のとおり工場中。


御本尊は十一面観音菩薩です。


由緒は9世紀初期(平安時代)第52代嵯峨天皇の弘仁十二年(821)弘法大師の開基であります。
この場所が、唐の青龍寺の地形に似ているため、「龍泉寺」と名付けられました。
その後、種々の戦火にあい堂宇破却したるを、寛弘二年(1005)比叡山横川の「恵心僧都」が、再興し、寺号を「朝日山恵心院」と称されました。
数度の兵乱にかかり、破却衰退しましたが、天正五年(1577)真言宗の一沙門に依って中興されました。
天正十七年(1589)豊臣秀吉公並びに徳川家康公より三十石の御朱印を給う。堂塔完備境内荘厳を極め、真言宗の大道場として繁栄したが、今は僅かに永禄二年(1559)造営の本堂並びに楼門を残すのみとなりました。


徳川家の葵のご紋


「恵心院本堂瓦屋根奉納のお願い」
平成30年6月の大阪北部地震により本堂屋根に被害が及び、修理することとなりました。
修理に際し、皆様に祈願瓦の奉納をお願いします。ご奉納いただいた瓦の裏面にお名前と願意を記し、屋根にあげましていただきます。


それでは境内をまわります。


子育水子地蔵尊


あじさい


アガパンサス(紫君子蘭)


社がありました。


御朱印をいただきに行くと
「ピンポーン」・・・
ご不在のようです。😅

境内を出て坂下の福寿園宇治茶工房さんで休憩です。


グリーンティとアイスのセット
アイスに抹茶がかかってます。


嫁さんはグリーンティと抹茶アイスのセット


嫁さんがスマホに夢中になってる間、窓から宇治川を撮影したりしてカメラで遊んでました。


テーブルのかど


福寿園さんからダメもとで恵心院へもどり、「ピンポーン」
はぁ~いと返事がありました。😁
こちらが書き置きですが、いただいた御朱印です。


恵心院から宇治川沿いを上流へ進みます。