今年3回目の玉造稲荷神社 | imachanのお参り

imachanのお参り

平成30年の初詣に藤森神社の御朱印を頂いてから御朱印収集にハマってます。お参りした神社仏閣と御朱印を紹介します。

朝から人間ドックのため、何も食べてなかったので「麺喰い メン太ジスタ」で、その名も「玉造ブラック」のミンチカツのランチをいただきました。
いつもとルートが違うためgoogleマップを頼りに、いざ玉造稲荷神社へ🚶🚶🚶
しばらく歩くと道の真ん中に木が生えてるのが見えてきました。
これは「白光大神」巳さんをお祀りしてます。
あとで調べてみると玉造稲荷神社に植えられている榎の種がここまで飛んできて木が育ち白蛇が住み着いたという逸話があるようです。
白光大神を過ぎて真っ直ぐ行くと道路の向こう側に玉造稲荷神社が見えました。
社号標
「玉作岡の石碑」
古代に、この付近一帯は「玉作岡」と呼ばれ、勾玉などをつくる玉作部が居住していました。玉造の地名の由来は勾玉を作る所からきたようです。
「近松門左衛門」の文学碑
仰向く顔に当る日を
神かざしの玉造
稲荷の宮居ここもまた
伊勢の内外の内平野町
「ひじりめん卯月の紅葉」より

あつき日に貫く汗の玉造
稲荷の宮に迷ふとの
闇は理(ことわり)御仏も
衆生のための親なれば
「曽根崎心中」より
鳥居

玉造稲荷神社の創建は垂仁天皇18年(西暦紀元前12)とめちゃめちゃ古い神社です。
吽形狛犬
阿形狛犬
利休を偲ぶ「利休井」
豊臣時代の千利休は玉造・禰宜町に屋敷を構えた。この一帯は清水谷などの地名が残るように玉造清水と呼ばれる良質の水が得られ、利休が茶の湯に愛用したそうです。
境内の北東側の奥にある「千利休居士顕彰碑」
石碑には利休居士15世にあたる千宗室宗匠の筆による利休の茶の心「和敬静寂」が彫られています。
「夫婦銀杏」
笑いを大切に「秋田實」笑魂碑
秋田實は玉造出身の現在の漫才の原型を作り、若手を育て上方漫才を代表する漫才作家です。戦前から戦後の功績から「上方漫才の父」とも呼ばれています。
7月15日の夏祭宵宮(秋田實の誕生日)には〝秋田實奉納演芸〟が行われているようです。
「豊臣秀頼公」像
大坂城鎮守神が鎮まる本殿と大阪城天守閣を望むように建てられています。
「豊臣秀頼公」奉納の鳥居

慶長8年(1603年)に秀頼公より奉納され、400年の歴史ある鳥居です。

残念なことに阪神淡路大震災により、基礎に損傷を受けたため、上部・脚部に分けられています。

胞衣塚大明神(よなづかだいみょうじん)石碑

「胞衣塚大明神」

秀頼公と母・淀殿を結ぶ胞衣(卵膜、胎盤など)が鎮まる。
鳥居の右前にあるピンク色のものは、真田幸村ゆかりの真田紐で作られ、家族の縁、親子の縁、男女の縁、主従の縁、仕事の縁など様々な縁の願いを縁のひも〟に記し胞衣塚大明神前〝縁のひも掛け〟に結び祈願します。

「小野小町歌碑」

湊入りの玉つくり江に

 こぐ舟の音こそたてね

     君を恋ふれど

「新勅撰集」より

「伊勢参り起点碑」

江戸時代のお伊勢参りでは、大坂以西の旅人達が玉造稲荷神社に参り、道中の安全を願い旅立ったそうです。

碑の側面には「是より神宮まで百七十キロ」

裏面には「勾玉の造(みやつこ)たちの頸飾り、菅の御笠にいざ旅立たむ」と歌が刻まれています。

大坂の陣 ゆかりの地 御朱印めぐりに御朱印頂きました。
中央に玉作岡がないので書き忘れと思いお聞きしたら、この御朱印めぐりには印だけになるとのことでした。
以前、頂いた御朱印です。
やっぱり、御朱印帳に頂くほうがいいですね。
玉造稲荷神社から大阪城へ向かいます🚶🚶🚶