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セラピストだより 2024年5月17日
自己こそ自分の主
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あるてみすてんぷるの沙羅です。
昨日の夕方の事。
「南の空を見てください!綺麗な虹が出ています!」
とご近所(と言うのか??市が違うのですが(笑))さんから連絡をいただき
南の空をみると綺麗な虹がかかっていました!
このお写真は教えてくださった方が送ってくれたもの。
ダブルレインボーですね^^
人間の性について、どうしたもんかと思案していたところ。
そこに虹のお写真が送られてくる。
彼女を介して神さまが送ってくれたギフトだと思い、
彼女と神さまにありがたく、と感謝する^^
私たちは実際にいる自分だと思っている自分、
実存している自分が自分だと思っています。
この自分と思っている自分。
実は表面で現れているのはほんの一部で、多くは無意識の中に埋もれています。
仏教では因縁的な存在の自我心と表す祖師がいらっしゃる。
同時にその自分というものの奥底には無常の自我があり、
それを仏陀は「自らの光」と名付けています。
これは聖書と全く同じですよね^^
鈴木大拙博士は「自分の中にもう一人の自分がいる」と表現します。
この自らの光、もう一人の自分と会見するのが「正見」と言います。
そして、自分の中のもう一人の自分を思い続けるのが「思惟」と言います。
自らの光に出会えて初めて自分というものを知り、
自分の中にもこんな光があったんだと心が安らぐのです。
もっというと、自分は仏様だし、皆その光があり仏さまだと思えるのがよいのです。
仏陀は臨終の時に「自らを光とし、自らを依りどころとせよ。
法を光とし、法を依りどころとせよ。他のものにたよってはならぬ」
という言葉を残していらっしゃいます。
ダンマパダに「自己こそ自分の主である。他人がどうして(自分の)主であろうか?
自己をよくよくととのえたならば、得難き主を得る」(160)という言葉があります。
自分を救うには、自分が目覚める以外はない、という深い呻吟です。
自分が行き詰ったら自分を凝視する思惟が必要であり、
決して外のせいにはなされませんよう^^
カルマの刈り取りを行うために霊学を学んでいても、
「覚」に行かなければ「迷」となり、その綻びからカルマを作り出すということを
しかと心に留められますよう。