先日NHK Eテレで
狂言師野村萬斎さんが狂言を紹介する番組が放送されました
その中でとても印象的な言葉がありましたので紹介します
それは
『このあたりのものでごさる』
という言葉です
狂言では登場人物が舞台に現れた時に自己紹介をするのですが
その時必ず『このあたりのものでごさる』と言うのだそうです
この言葉は狂言が起こった約700年前から変わっていないのだそうです
私たちは自己紹介する時どう言いますか?
多くの場合は
『○○の××です』だと思います
○○には、会社名や団体名若しくは自分が本拠を置いている場所であったり自身の職業だったりします
××には大抵は自身の名前が入ります
つまり、何処に所属しているか何をやっているか、自分という存在を識別するものは何なのか、
他と自分を区別するものを言うわけです
ところが、『このあたりのものでごさる』という自己紹介には、何かと区別したりするということがありません
それどころか、とても曖昧です
例えば『このあたり』とは何でしょう?
素直に捉えれば登場人物が暮らしている場所となりますが、その範囲はどのくらいでしょう?
昔なら村単位でしょうか
広くても武蔵国とか信濃国レベルでしょうか
でも今の時代であれば日本とも言えるしアジアとも言えるでしょう
もし未来で宇宙人に対して自己紹介する時は『このあたり』は地球とか太陽系とか天の川銀河になるかもしれません
また、もしタイムマシンが出来て未来や過去に行けたなら、『このあたり』は20世紀頃とか21世紀頃とか時間を指す言葉になっているかもしれません
つまり、時代や自己紹介する相手によって『このあたり』はどんどん変化します
そしてもう1つ
『このあたりのものでごさる』の『もの』はどうでしょうか?
素直に捉えれば、人間つまり“者”でしょう
でもそれだけでしょうか?
狂言の登場人物が人間だけとは限りません
山川草木に代表される自然・あらゆる動物植物
もっと極端に言えば人間が感知出来ない“あの世”のものも『もの』であると言えます
『このあたりのものでごさる』
あえて平仮名だけで書いた意味はここにあります
“この辺りの者でござる”
と書くと
“この付近の人間”という先入観が入ってしまいます
『このあたりのものでごさる』
この自己紹介には、空間的制約も時間的制約もありません
もちろん、人種・性別・宗教、そのような制約もありません
つまり、自分と他者、この他者には人間も植物も動物も自然もあの世も含まれますが
自分と他者を区別するという概念が無いのだと私は理解しました
要するに
私は私以外のものとイコールであり
私はわたしに連なる過去とも未来ともイコールであるということです
だから、
自分を大切にすることは世界のあらゆる『もの』を大切にすることであり
自分以外の『もの』を否定したり攻撃したりするということは、自分自身を否定したり傷つけたりするということなのだ、とも理解しました
『このあたりのものでごさる』
この自己紹介には
『私はあなただよ』
『あなたは私だよ』
『あなたと私は何も変わっていないよ』
『だから一緒に手を取り合って笑っていこうよ』
そういう意味が込められているのだと私は理解しました
野村萬斎さんの狂言を観てみたくなりました
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