セラピストおりょうの徒然記 -16ページ目

ある日、地下鉄の駅で

ふと目に入った一枚のポスター。
その絵を見た瞬間、

胸の奥がざわめいた。

「あれ?この感じ、

なんだか私が描く絵と似てるかも…」

強く心が引き寄せられるように、

その展覧会
ヒルマ・アフ・クリント展へ向かった。

踊るような気持ちで、美術館の扉をくぐる。

広がっていたのは、
大きなキャンバスに描かれた、

色彩と形の宇宙。
 

「どうやって描いたんだろう?」

「どんな思いで、どんな体勢で、
彼女はこの絵を生み出したのだろう?」

時代ごとに少しずつ表情を変える絵たちが、
静かに、でも確かなエネルギーで、
彼女の生き方や感情を語っていた。

抽象的なのに、
彼女の鼓動が聴こえるような作品たち。
ただ「美しい」では終わらない、
何か深い共鳴があった。

そして、私は気づいた。

私が幼いころから

絵を描くことが好きだった理由。

私は内気な子どもで、

うまく言葉で気持ちを伝えられなかった。
でも、絵を描いているときだけは、
何にも縛られず、自由だった。

言葉にできない感情を、
好きな色で、筆の動きで、

ただただ外に放っていけた。
 

あの時間こそが、

私らしくいられる場所だったんだ。

私はずっと、自分の中にある
“声にならない声”を
外側に出したかったんだ
絵という形で。


人にはそれぞれ、

表現のかたちがある。
 

言葉で語る人、

音で奏でる人、

身体で踊る人。

私は、絵だった。

そしてきっと誰もが、
自分の内にあるものを

何らかの形で
外に出したいと願っている。
 

それが、

自分自身とつながることだから。

そして、
その表現に

誰かが共鳴してくれたとき、
心に灯るような、

静かなあたたかさが生まれる。

わたしはきっと、
人と人が“響き合う奇跡”を

体験したかったんだ。

ヒルマ・アフ・クリントの絵は、
そんな私の心の奥にずっとあった思いに
そっと寄り添ってくれた。

私は、また描きたくなった。
言葉にできない「わたし」を、
今、もう一度、絵にしてみたくなった。

 

 

ヒルマ・アフ・クリント作

 

 

ヒルマ・アフ・クリント作

 

ヒルマ・アフ・クリント作

 

ヒルマ・アフ・クリント作

 


ゆーらりん亮子作

 


ゆーらりん亮子作

 

ゆーらりん亮子作

 

ゆーらりん亮子作

 

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