23日は天皇陛下の77歳のお誕生日。めでたいことです。
さて、来年度の国家予算の大枠が決まってきましたが。。。過去最大の合計92兆円ってどういうことか実感がわきますか?
新規国債発行額を44兆円以下にしたいと言ってましたが、無理ですた。44兆円でも多すぎる借金ですが。
もし税収が40兆円しか見込めないとすると、国債を48兆円発行しても合計88兆円なので、4兆円足りません。
不足分は、今回は積立金を崩してしのぐそうですが、次年度以降はもう使えません。さてどうするのやら。
来年度以降も同じ規模を続けようとすると、国債52兆円発行しないと92兆円には間に合わないでしょう。
この期に及んでも民主党政権はまだバラマキを続けるつもりだそうです。
ただ、財政難の問題が分かっている議員もいるようで、超党派で着々と増税の道筋を付けているようです。
野田財務大臣が再来年から消費税を増税する方針だって公式に発言しました。
特に与謝野氏は非常に事情が分かっている人のようです。この超党派議員たちがいずれ、民主党でも自民党でもない新しい政党を作るかもしれません。
参院選挙に負けたので消費税増税は一時封印するみたいだけど、しばらくしたらまた言い出すよって以前書きましたが、その通りになりました。私の予想は良く当たるんだ。
要するにバラマキの財源は、みなさんの今の財布と、将来子供たちが返す羽目になる借金なんですが、それでも良ければばらまいてもらって喜べばいいんじゃないですか?
でも増税の法案が仮に通ったとしても、それが施行されて実際に税収アップになるのは再来年度以降です。だから、それまでの間が一番赤字がひどい状態となるわけです。
ところで、日本に限らず各国政府の借金って、正直な話、目に見えないものです。
個人向け国債を買って持っている人はまだ多少は実感があるんでしょうが、持っていない人にはマスコミを通じて数字が示されるだけです。
そういう、実体がよく分からないものが増えたり減ったりして、それが人々の生活という実体を豊かにしたり貧しくしたりするんだから、我々はなんとも不思議な世界に生きているんだなと思います。
民間の銀行は、人々から集めた預金を企業や国に渡して、企業や国から借用証書(債券)を買っています。
銀行にお金を預けるということは、個人向け国債を買っていなくても、間接的に国債を買っていることになるわけです。
銀行の金庫には人々から集めた現金などほとんど入っていません。
お金を右から左へ流すのが銀行の役目で、金庫には直近の出し入れに必要な分しか入っていません。お金の大部分は帳簿上にしかありません。
世の中のほとんどの人は、銀行に自分のお金を貯金していると思い込んでいるでしょう。
でも本来それは貯金ではなく預金で、投資という名のバクチを打つ民間業者にお金を預けているだけです。
その業者(銀行)は、ほぼ必ず利息をつけてちゃんと返してくれると信用できる相手は(今のところ)国や大企業だと思っているから、集めた預金を使って国債や社債の購入などのバクチをやっているわけです。
みなさんが、その業者と、その業者がお金を貸している相手を信用するなら、その業者にお金を預けてそのバクチに参加すればいいです。
実態はともかく、建前上は日本は自由主義なので、博打に参加するしないはみなさんの自由です。
あまりピンとこないでしょうが、国家も一種の企業です。
国が破綻したらどうなるかというと、企業の破綻と同じです。銀行は貸したお金が返ってこないので損をし、またその銀行にお金を預けた人もお金が返ってこないので損をするということです。
(正確に言うと1000万円までの預金は保護されるそうですが、本当かねえ。破綻してIMF管理下に入ったら保証されるか分からないし。)
国という企業が破綻するかどうか気になる人は、その企業が、毎年いくら稼いで(サービスを売る代わりに税金という代金を受け取って)いて、いくら使っている(サービス運営のための人件費などがかかっている)か、差し引き毎年どれだけ黒字または赤字になっているか、を調べればよいです。
その黒字赤字を示してくれるのが、一般の企業なら決算報告ですが、国の場合は来年度予算のニュースというわけです。
日本国という企業がここんとこずっと赤字続きなのは良く知られています。
それでもその企業(国)が将来有望だと思うなら、みなさんも銀行に預金して間接的にその企業にお金を貸せばいいんじゃないですか?
繰り返しますが、銀行という名のバクチ打ちにお金を預けるかどうかは個人の自由で、自由である以上自己責任です。
自己責任でギャンブルに参加したからには、お金が返ってこない事態になったとしても文句は言えません。それがギャンブルなのですから。
今でも個人商店などは現金で取引しているし、サラリーマンもかつては会社の出納係から現金で給料を受け取るのが普通でした。
(それで給料日にはお父さんが妻に現金を渡せて威張れたし、またそのせいで給料日にはスリやひったくりや強盗も多かったんですが。)
しかし自営業が減り、世の中の大部分の人がサラリーマン化し、給料が銀行振り込みになった結果、銀行を財布代わりに使うようになり、銀行が自分のお金を大事に保管してくれているという幻想をみんな信じて疑わなくなっているようです。
(ついでにその結果、妻が通帳を握り、夫は自分が働いて稼いだはずのお金をまた妻に頭下げてお小遣いとしてもらうという悲しいことにもなりましたが。。。)
ともあれこうして、銀行口座を財布代わりにするのが当たり前になってしまったせいで、銀行が実はギャンブルをやっている民間業者だということを、みなさん忘れかかっているのではないですか?
公共料金や税金などの支払いも、本当は現金が基本で、銀行はその代行をやっているだけです。
さすがに私も、現金では面倒なので、銀行引き落としにしていますが。
私は、この日本国という企業は、今の民主党政権が続けばいずれ破綻すると思っています。だから銀行には引き落としに必要な分しか預金してません。
いやまあ、どのみちろくに資金がないので負け惜しみを言っているんですけどね。
なお、普通の企業と違って、国は通貨増発という手を使うことができます。
わざとインフレにしてしまえば、100兆だろうが1000兆だろうが1京円だろうが簡単に返せるわけです。
これは禁じ手ですが、実際にいざとなると多くの国がやってきたことです。
楽な道のように見えますが、インフレになると、預貯金は時間が経てば経つほど減っていくのと同じことで、その一方で給料はすぐには増えないので、国民の暮らしは非常に苦しくなりますがそれでもいいですか?
ちなみに、インフレを起こしてしまえと主張しているのがみんなの党です。
ところで、国家破綻やインフレのときには、金(ゴールド)のような実物資産が役に立ちます。
もっとも、金は今海外相場でちょっとバブル気味です。
最近あちこちで第一商品とかいう金の先物屋の広告が出ていますが、こうなったら要注意です。短期的にはそろそろ急落するでしょう。短期で儲けたい人は今買うと損するかな。
でも、ゴールドは限られた資源だし、海外を別にしても日本ローカルの財政問題があるので、一時下がっても長期的にはまた上がると私は思います。小額ずつの積み立てなら良いと思います。というか、私は買い足したいのに高くて躊躇しているので下がってほしいです。
いろいろ悲観的なことを書きましたが、ひょっとしたら楽観的なシナリオが実現するかもしれません。
私は、この日本国という企業の経営陣がダメダメでも、企業の多くの従業員や、この温暖で雨の多い豊かな土地や資産は、とても価値が高いものだと思っています。外国は砂漠だらけです。
だから、この企業が破綻すれば、預金は戻ってきませんが、それで借金を一度無効にできれば、残された従業員が再び新しい企業を立ち上げてよみがえるはずだと思っています。
ただしそうなると年金などは廃止になるし、当分の間新たな国債発行が許されないので税収に見合ったごく小さな政府になってしまいますが。
(また、破綻のどさくさで中国やロシアなどが日本に攻撃を仕掛けてくる可能性もあるので、破綻しないで済むならそれが一番いいですけど。)
あと、うまくいけば日本は石油産出国になるかもしれないです。石油を合成する藻の研究が進んでいますから。
もし国営バイオ油田みたいなものを作れれば、石油を売った代金で借金を返せるので、破綻は免れるでしょう。それどころか世界のエネルギー問題が一挙に解決するかもしれません。
またその結果、税金を過去の借金の返済に充てるのでなく未来の発展のために使えるようになり、企業は安心して正社員を雇い、人々は明るい将来に安心して結婚し子供を産み育てる気になり、年金問題も解決。そんな世の中になるかもしれません。
だから科学技術は重要なのです。それが分からない政治屋はバカです。
などと考えながら、床屋に行った帰り道、ヤキトリを買って食べながら夜空のオリオン座を見上げました。
夜空の星は、人間のちっぽけな営みに関係なく今日も輝いてました。
わずかとは言え、このご時勢にボーナスもらえるだけで幸せなんですが、さて、特に欲しいものがない。
というか、今のPDの任期が切れたら失業するかもと思うと、とても消費に回せないです。
もともと衣食住にはあまりこだわりがない。こざっぱりとした服を着て、普通のお店で売っている普通の食材を買って料理して食べて、静かでのんびりした家に住めれば十分。
いやまあ、贅沢を言えばヨメさんも欲しいですが、それは高すぎて手に入らないので本当は負け惜しみを言っているんですがね。
趣味の道具も、基本シンプルに済ませるのが好きで、大掛かりなものは自分では所有しないつもり。
いやまあ、本当は欲しいものもあるけど、それは高すぎて手に入らないので(2000万円くらいかかるかな?)負け惜しみを言っているんですがね。
体はいたって健康なので健康グッズやサプリなどにも興味ない。
新たに趣味を始めるとしたら、何か楽器を弾けるようになりたいとは思うけど、正直面倒だし。
もちろん、宗教だの政治集会だの自己啓発セミナーだのお見合いパーティーみたいな、雰囲気を売って大金を集める詐欺集団にお金を渡す気はないし。
というわけで、お金の一部は、自営業やっている実家に仕送りして、運転資金にしてもらうとか健康を保つのに使ってもらおうと。残りは貴金属に変えておこうか。
この不景気で、政府やマスコミが一所懸命消費を煽ってますが。
自分はもともと貯金が少ないし、狭い家だから物を買っても置き場に困ると思うと、白物家電を買うためにお金を使う気になれん。車なんて維持費が高すぎるし全然興味ないし。。。
でも。。。世の中がみんな私みたいになると不景気がひどくなるわけです。
だから、お金持ちは、ぜひ今の流行を追いかけてつまらないものを買い込んだり、まだ使えるものでもどんどん捨てて買い換えてください。できれば国産のものを。
また金持ちはぜひホテルを借り切ってパーティーを開いたりしてお偉いジジババを呼んでつまらない話を聞いてあげるふりをしてください。
お金をろくに持っていない人は、酒やタバコをどんどん買って税金を納めて少しでも国の財政を助けてください。またその結果体を悪くしてどんどん薬を買ってください。
主婦は、行列があればわけも分からず並んで、どんどんくだらないものを買ってください。
テレビでまいう~って言ってたらぜひその店に行って食べて話のネタにしてください。
不景気を終わらせるには、年間総生産と消費の差(需給ギャップ約35兆円)を埋めればいいんだけど、それには国民一人当たり年間約30万円余計にお金を使えばいいのだから。
まあ、アメリカ人みたいに借金してまで買い物をするのはだめですけど。
これだけボッタクリ商売関連のキーワードや大衆消費関連のキーワードをちりばめたら、きっとこの記事の下には、原価がタダみたいなものを高値で売るボッタクリ商売のリンクが自動的に張られると思うのでそのつもりでよろしく。
星の観察は子供の頃からのんびり続けている趣味です。
学生時代に、友人が20cm反射望遠鏡を手に入れたのに影響され、自分もバイトして10.1cm屈折を手に入れました。
友人とはお互いにアパートに呼んで(押しかけて?)いろいろな天体を見たり人生を論じたり女の話をしたりしました。
一番盛り上がったのはもちろん女の話でしたよ。ええ。
その後東京に帰ってから、年に4,5回程度しか望遠鏡を使わなくなりました。
そこで、もっと小型軽量の5cm屈折を手に入れて、ベランダ(引越し後は縁側)で見る機会を増やそうとしました。
縁側で猫背になって望遠鏡を覗いている自分のじじむさい姿はあまり想像したくないものですね。ええ。
去年からは、隣町の観望会に時々参加するようになり、多くの人に星を見せる楽しさに目覚めました。それでだいぶ意欲が復活しました。
見せびらかしてお礼を言われるのだから気分いいですね。ええ。
一人で天体を調べて見ておいて、観望会でその成果を披露するのは楽しいものです。
実際、観望会に参加するようになってから、自宅で一人でも望遠鏡を覗くことが多くなりました。
人付き合いが苦手なくせに人から評価されることがやる気の元になっているということを如実に表していますね。ええ。
もっとも、観望会のお客さんは親子連れの初心者が多いので、そんな事前調査が必要な難しい天体よりも、月やすばるなど、ぱっと見て美しい天体を見せています。一人特訓は意味ないですね。ええ。
観望会でベテランの方が、見たことない望遠鏡だけどこれは何だろう?と不思議そうに見ることもあります。
実はこれが密かな楽しみです。ええ。
1話完結方式の下町っ子コメディーです。今アニメでやってます。
- それでも町は廻っている 1 (ヤングキングコミックス)/石黒 正数
- ¥560
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原作を知らず、アニメ見て面白かったので原作を買うというのは、ちと悔しいです。
ええ、こないだまで知らなかったにわかファンです。
毎度笑わせてくれて、読後感がいいです。おすすめ。
オリオン座のリゲルは、主星が0等で伴星が6.8等、9秒角くらい離れた二重星です。
口径5cm以上の望遠鏡で分離すると言われています。
12月1日の夜は、冬にしては珍しくシーイングが良かったので、久しぶりにリゲルを見ようと思いました。
翌日から日本では大雨になりましたが、雨になる前日には上空の気流が凪になって、星がほとんど瞬かず、望遠鏡でも星がちらつかず良く見える(シーイングが良い)ことが多いです。
5cm135倍では、リゲルの伴星がけっこう離れたところにあって、わりと簡単に分離して見えました。
これは、鉛筆で描いたスケッチを、デジカメで撮ってパソコンで白黒反転したものです。
77倍まではリゲルはほぼ真っ白でしたが、135倍まで倍率を上げると少し黄緑色に着色しているのが目立ってきました。色収差ってやつです。でもまあ愛機コペルニクスくんは5cmアクロマートのわりにはかなり頑張ってくれているほうだと思います。
また、天頂プリズムを付けると、主星の光芒が広がって、伴星の上に覆いかぶさってしまって見えにくかったです。また色収差が少し増えてしまいました。
今更ですが、性能の限界に近い対象を見るなら、天頂プリズムをつけないほうがいいことが分かりました。
直視では首が痛くなるので他人にはあまりお勧めしませんが。
つらい姿勢に耐えて極限に挑んでいると言うとかっこいい(?)ですが、傍から見ればただのバカでしょう。きっと。
庭のほうれん草は、日当たりが悪いのか、土が合わないのか、ほとんど消えてしまいました。。。(;_;)
プランターのほうれん草は、やはり日当たりは良くない(1日のうち2~3時間くらいしか日が当たらない)のですが、なんとか成長してくれています。これは先週土曜日の写真。
かわいくて食べたくないですが、でもいずれおいしくいただきます。
このように、古代の最も温暖な気候に適応して農業を基本に成長した大国(ローマ、ペルシア)が、中世初期の最も寒冷な時期に対処しきれず人口と領土を減らし、衰退・滅亡したと見ることができます。それなら特に不思議なことではなく、ある意味必然と思われます。
まとめると、
(西)ローマ帝国は特に温暖期に最適化しすぎた国で、寒冷期になると大きい割に防御が弱くてゲルマン人の標的にあいやすく、穀倉地帯のマグレブを奪われ5世紀後半に真っ先に滅亡。
東ローマ帝国とササン朝ペルシア王国はまだ地の利を生かして国力を維持していたが、さらに寒冷化が進んだ6世紀から7世紀には両国が生き残りをかけて戦争を行い、国力を消耗。
最も寒冷だった7世紀になると、今度は南から実力をつけたアラブ人が民族大移動を開始し、隙を突いて穀倉地帯のエジプトとメソポタミアを占領。
その結果東ローマは滅亡寸前に陥り、ペルシアは滅亡。
このように見ればすっきりします。
もっとも、6世紀には、東ローマ帝国のユスティニアヌス帝がヴァンダル王国と東ゴート王国を征服し、ササン朝ペルシア王国のホスロー1世がエフタルを征服するなど、両大国が華々しい戦果を上げて巻き返したことがあります。
そのためちょっと全体の流れが分かりにくくなっている面がありますが、これは最後に一花咲かせた程度のもので、7世紀には両大国とも急速に衰退し、滅亡か滅亡寸前に至っています。
全体の流れとしては、単発的に戦果があろうと、これらの大国が寒冷期に衰退するのを止めることはできなかった、と見るほうが良いと私は思います。
7世紀になると、旧西ローマ帝国領ではゲルマン人やその他原住民による小規模な領邦国家が多数分立しました。
東ローマ帝国も、テマ制を導入して各地域の自治と自主防衛を認めることでなんとか生き残りました。また首都での「パンとサーカス」(住民へのパンの配給と娯楽の提供)が停止され、都市の遊民階級が姿を消しました。以後この国を、今ではビザンツ(ビザンティン)帝国と呼ぶことが多いようです。
このように、定住型の農耕民族の国は、温暖期には生産に余裕があるおかげで高度な分業が可能で、都市機能を発達させ大国を形成させることができた。しかし寒冷期に入ると、農産物の生産低下や雪で移動が大変になり、消費するばかりの大都市を内部に抱え、かつ長い国境線を多くの傭兵で守るという大国のままでは維持コストが高くつくようになった。それで、小規模な領邦国家に分かれて各領邦内でできるだけ自給自足するようにし、国力の維持と回復を図って生き残ったのだろうと思われます。
東アジアで起きていたことも基本的には似たようなものです。
紀元前後の温暖期には農業国の漢が栄えていましたが、その後寒冷化すると、各地に豪族が自治勢力を作って分裂しました。
その一方で匈奴や突厥など北方遊牧民族が活発に移動し、その一部は南下しました。
南下した部族は、穀倉地帯を占領して定住し、やがて原住民と混血して新たな農業国を作っていくようになりました。これはヨーロッパで起きたことと同じです。
ところで、アラブ人の大移動は、イスラム教の聖戦を口実にしたものでしたが、本当は、経済力をつけたあと軍事力をつけたアラブ人が、その実力を背景に穀倉地帯の占領を目指したものと見るほうがスッキリします。
実際、当時温暖だった穀倉地帯には盛んに聖戦を仕掛けました(マグレブやシチリア島にも何十年もかけてしつこく攻撃してとうとう手に入れた)が、それより北の寒冷な土地にはさほど聖戦を仕掛けていません。
もし本当に聖戦のためであれば、一度トゥール・ポアティエ間の戦い(732年)でフランク軍に敗れたくらいでヨーロッパ内陸部への布教というか侵入をあきらめたりはしないでしょう。
単に、当時のフランス(フランク王国)は寒くて収穫が少なく、南方系であるアラブ人にとってどうしても占領したいほどの魅力がなかったというのが本当のところだと思います。
対ビザンツ戦でも、首都コンスタンティノープルはアラブ人にとって魅力的な豊かな町に見えたため、アラブ軍は何度も包囲して占領を狙いました(結局失敗)が、首都以外の寒い内陸部にはあまり興味がなかったようです。
468年の攻防戦のとき、兵の数では東西ローマ連合軍のほうが上でしたが、それでもヴァンダル軍が勝ちました。
そのときガイセリック王は80歳近くでしたが、なおも前線で指揮をとり、巧妙な戦術でヴァンダル軍を勝利に導いたとのことです。なんとも元気なおじいさんです。亡くなったのは477年で87歳だそうです。
ともあれ、これらの一連の戦いでヴァンダル族がローマに勝ったということは、ヴァンダル族はすでにローマと同等の武器を手に入れ、ローマ以上に戦術に長けていたことを示しています。
当時の軟弱になったローマ人に比べればゲルマン人は野性味の強い人々だったでしょうが、決して、単純素朴な武器しか持たないで猪突猛進するようなイメージの野蛮人ではありません。
むしろ、かつてローマ人が得意としていた武器の製造や運用、技術、外交力、戦術、団結力などが、すっかりゲルマン人に学ばれて、お株を奪われた、と見るほうが正しいです。
またローマが同盟軍として頼っていた西ゴート族も、ローマが明らかに衰退したのを見ると非協力的になりました。
西ローマ帝国末期のローマ市民もだらしないの一言です。ローマの建国から発展期には市民は外敵に対して一致団結して戦ったものですが、末期のローマ市民は、そのような戦いをほとんどしていません。
ゲルマン人傭兵に頼ったり、キリスト教を信じれば神が奇蹟を起こしてローマを救ってくれると思い込んでいたり、敵に貢物を差し出して助かろうとしたり、あるいはただ逃げ惑うばかりでした。
指導力がないうえに売国に熱心な西ローマの権力者たちに代わって、市民が自発的に防衛組織を作って外敵と戦ったというような話もほとんど聞いたことがありません。
皇帝に代わってローマ教皇がフン族のアラリックとの交渉に当たり、神の教えを説いて改心させ、ローマから退去させたというような伝説がありますが、ほぼウソでしょう。
教皇がアラリックに教会の財産を貢いで目先しのいだだけで、代わりに別の土地が略奪にあったというのが実態だと思われます。
だから、できるだけ技術の流出を防ぐべきだし、生産や軍事を外部委託して楽して暮らすような道を安易に選ぶべきではないし、国難が迫った時代にファンタジー宗教にすがって現実逃避してはいけないのです。今でも通じる話ですね。
話を元に戻して、東ローマ(ビザンツ)帝国やササン(サーサーン)朝ペルシア王国はどうだったかというと、寒冷なこの時期にはやはり、ゲルマン人やフン族やエフタルなどの寒さに強い北方遊牧民族の攻撃にあって苦しめられていました。でもまだなんとか国を維持していました。
維持できた理由は、両大国の気候風土がだいぶ異なるため、貿易によって互いに不足なものを補うことができたことと、常に両大国の間に緊張があったため自国の兵が鍛えられていて西ローマ軍ほど軟弱ではなかったことと、穀倉地帯として東ローマはエジプトを保ち、ササン朝ペルシアはメソポタミアを保っていたからでしょう。
両国は互いに周辺国を属国にし、緊張と協力を繰り返しつつバランスを保っていました。
しかし東ローマはユスティニアヌス帝の時代に対ゲルマン戦に兵力の多くを回したため、東側の守りが手薄になりました。そこでペルシアは隙を狙って一気に攻勢に出て、交易で栄えていたシリアや穀倉地帯のエジプトを狙ったため、中東では6世紀を通じて断続的に戦争が続きました。
その結果、通商の迂回路としてアラビア半島が栄えてきて、アラブ人が経済力をつけてきました。彼らは7世紀に入るとイスラム教を起こし、集団を作って略奪的大移動を開始しました。
東ローマとペルシアは長年の戦争で疲弊しており、新たな敵に立ち向かう余力がなく、あっけなくアラブ人に敗れました。瞬く間に東ローマはシリアとエジプトを、ペルシアはメソポタミアを失いました。これはアラブ人が大移動を始めてからわずか10年の出来事です。
このことから、アラブ人が手に入れたかったものはまさに当時の穀倉地帯だったということが良く分かるし、また東ローマもペルシアも、北方民族に対する防衛体制は作っていたが、南から民族大移動があるとは予想していなかったことが分かります。
東ローマにとってシリアとエジプトを失ったことは致命傷で、その後滅亡寸前の状態が続きました。しかし首都コンスタンティノープルは海と城壁で守られていて、なんとかしのぐことができました。
ペルシアにとってもメソポタミアを失ったことは致命傷で、しかも首都クテシフォンは守りにくい土地にあったのであっけなく陥落し、651年に滅亡しました。
(つづく)
ローマはなぜ衰退し、ゲルマン民族はなぜ大移動したのでしょうか?
私は学生時代からこのことが疑問でしたが、最近では、気候が寒冷化したためだと考えるのが自然だと思うようになりました。
様々な証拠から、地球の気候は、紀元前2世紀から2世紀頃は温暖(ローマ温暖期)で、その後次第に寒冷化していき、7世紀ごろ最も寒冷化していた(中世寒冷期、日本では古墳寒冷期とも呼ばれる)ことが分かっています。
温暖期には食料が安定して手に入るので、ローマもゲルマンも同様に人口が増えて勢力範囲を拡大していました。
ただし、ローマが大規模農業を基礎とする文明国家だったのに対し、ゲルマン人はまだ深い森の中で未開の生活を送っていたため、勢力範囲の衝突が起こると、文明の蓄積があったローマのほうが基本的に優勢でした。
ローマ帝国の最盛期は、ちょうど最も温暖だった時期と重なります。
実は、この温暖期は現在よりも温暖でした。
ローマ人は、この安定した農業生産と軍事的・技術的優位がいつまでも保たれると勘違い(?)して、農業生産や兵力の供給をイタリア外部の属州に委託して済ませる楽な道を選ぶようになりました。
しかし運悪く、ちょうどその頃、寒冷期に入ってきました。
ローマの農業は温暖な気候を前提にした地中海式農業だったため、寒冷化してくるとまず寒い北部の属州から先に放棄していくことになりました。
またペストの流行や飢饉によって出生率低下あるいは幼児死亡率の上昇なども起き、人口が減っていったのもこの時期です。
一方ゲルマン人は、もともと寒冷な気候に慣れていて、農業に依存せず野性味を残していたため、寒冷期になるとローマに対し優勢になってきました。
一般には、東からやってきたフン族に押されて、玉突きのようにゲルマン人がローマ帝国領内に侵入したのがゲルマン民族の大移動だと言われています。でも実際にはフン族に関係なく、それ以前もそれ以後も大移動していましたし、移動が盛んな時期はちょうど寒冷期に重なります。
寒冷化が進むと、半狩猟採集・半農耕民族だったゲルマン人にとっても、さすがに高緯度の土地は寒すぎて食料が不足し、彼らにとって暮らしやすい気温の土地がだんだん南に寄って来たので、それに合わせて南へ移動したことが、ゲルマン民族の大移動だったと見るのが自然でしょう。
ローマ人は押し寄せるゲルマン人を傭兵に利用して帝国を維持しようと努めますが、傭兵にするということは武器の製造法や利用法をゲルマン人に盗まれることでもありました。こうして3~4世紀以降は明らかにゲルマン人が優勢となりました。
温暖期には地中海の北側、北緯40度くらいが農業に適した土地でしたが、特に寒冷だった5世紀から7世紀には、比較的安定した収穫が望めるところは北緯30度くらいまで下がり、地中海の南側、マグレブ(マグリブ)(チュニジア、アルジェリア、モロッコあたり)やエジプトが穀倉地帯となりました。
西ローマ帝国政府は、パンとサーカスを欲しがる遊民階級を生産活動に向けさせたりとか防衛軍として訓練させるとかして自主防衛能力を高める道をとればよかったのでしょう(実際に東ローマ帝国はそうやって生き残りました)。しかしローマ人は長年なまけぐせがついていたためそういう道をとらず、地中海の反対側にあるこの穀倉地帯をなんとか確保しつつ、比較的友好的なゲルマン人部族と同盟関係を結んだり傭兵にしたりして、敵対的なゲルマン人部族と戦わせることで国を維持する道を選びました。
時期によって態度が変わりますが、どちらかと言うと西ゴート族はローマに友好的、ヴァンダル族は敵対的でした。ヴァンダル族は最も攻撃的で、また最も長い距離を移動した部族です。
ヴァンダル族はドイツからはるばる移動して、409年スペインの南岸に落ち着こうとしました。ここも当時は比較的温暖で豊かな土地です。
しかし彼らは西ゴート族に敗れたため、ここは安住の地とはなりませんでした。そこでヴァンダル族のガイセリック王はアフリカへ渡ることを決断し、カルタゴ市を落としてマグレブ一帯を制圧し、442年ヴァンダル王国を建国して落ち着きました。
西ローマ帝国にとって穀倉地帯のマグレブを奪われたことは致命傷で、これがほぼ滅亡の原因でした。
以後の事件を追うと、455年ヴァンダル軍は、ローマの内部分裂に乗じて攻め込んで略奪。
このときローマでは最悪の売国勢力(前帝ヴァレンティニアヌス3世の后エウドクシア)が実権を握っており、わざわざ無防備にしたうえでヴァンダル軍を呼び寄せ、ローマ市内の政敵(新皇帝マクシムス)を排除(殺害)するのとひきかえに略奪を許した。
その後、ガイセリック王はローマへの農産物の輸出を停止。その結果ローマで飢饉発生。
この事態に東ローマ帝国も重い腰を上げ、468年にレオ1世帝の主導で東西ローマ帝国連合軍10万の大軍を編成してヴァンダル王国を攻めたが、ガイセリック王の指揮するヴァンダル軍の前に大敗。
ヴァンダル軍は勝利に乗じてシチリア島も占領。ここも当時は穀倉地帯のひとつだった。
これらの一連の戦いはカルタゴの復讐とも第4次ポエニ戦争とも呼ばれています。
以後の西ローマ帝国は無政府状態に近く、ゲルマン人リキメルの傀儡となった皇帝が何人も現れては消えた。
476年にゲルマン人傭兵隊長のオドアケルが、皇帝ロムルス・アウグストゥルスを廃位し、東ローマ政府に皇帝の位を返上して帝権を一つに戻すという形式を取って、西ローマ帝国滅亡。
(次回に続きます)


