先月のことですが、狭山児童図書館の観望会に行きました。
ここには五藤光学の15cm屈折赤道儀があります。
M45、M42、リゲル、カストルを見せていただきました。スタッフの皆様ありがとうございました。

近所の親子連れのお客さんが多くて、地域の人々に親しまれている感じがいいです。


この望遠鏡は非常に良く見えます。アクロマートのはずですが、色収差はほとんど分かりません。いったいどういう設計なんでしょう?光軸もばっちり合っていました。ファインダーも良く見えます。
シーイングは決して良くなかったのですが、リゲルの伴星は56倍(ケルナー40mmで)という低倍率でもくっきり見えました。トラペジウムのEも低倍率で簡単に見えました。

架台が頑丈で揺れないのもいいです。30年以上使われているそうなので、十分元は取れているでしょう。すばらしい天文台です。

あまり懐古趣味になる歳でもないですが、時代に関係なく良いものは良いです。


大きな望遠鏡は、自分では所有せず、観望会で人に見せてもらうようにしています。
まあ本当はお金と置き場所があれば私も欲しいんですが。


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写真は先月でなく昨年11月に行ったときのもので、このときは確か途中から曇ったのでドーム内を少し明るくしていました。許可をいただいてから撮りましたが、顔が入らないようトリミングしてあります。

最近も、しいたけがぽちぽち生えてきます。そのつど収穫していただいてます。

ここまでの合計で25本です。


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今日のほうれん草です。そろそろ収穫します。


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寒さで引き締まって肉厚です。おいしそうです。


収穫したら次は何を植えようかな。

春になったらもう1回ほうれん草を育てるつもり。

何しろ種がいっぱい余っているので。。。(発芽温度は15度から20度くらいなので、それまで待たないと。)


ところで。

今世界的に食料価格が高騰しています。外国では国民に野菜の栽培を奨励しているところもあります。日本ではほとんど報道されていませんけど。


新興国、08年の「食料危機」再来に警戒強める 2011年 1月 25日 17:51 JST

http://jp.wsj.com/Economy/Global-Economy/node_175880


今、外国は多くの品目で食料の備蓄や輸出停止を続けています。

特に大国は外交に有利なようにいざとなると食料の輸出制限を武器にします。ご用心。


私がやっていることは、今のところ単なる趣味です。

でもいざというときに備えて、自分で野菜を作れるように栽培の知識経験を持つのは決して無駄なことではないと思っています。

今回も世の中への不満を書き連ねるので、楽しい話を読みたい人は読まないでください。


12月に金(ゴールド)は3997円まで上がりましたが、今月に入って急落し、昨日の価格は3745円です。
12月に「金の先物屋の広告があちこちに出ていてバブル気味だから、今買うと短期では損するだろう」と書きましたが、その通りになりました。私の予想は良く当たるんだ。
これくらい下がればまあ買ってもいいかなと思って昨日ちょっとだけ買いました。
これは生活防衛のためで、利益を出すためではないです。

金が高騰するような(インフレの)世の中は危ない世の中で、そうなってほしくないのですが、万が一に備えています。


また、12月に、消費税増税派の与謝野氏に注目しましたが、今月本当に入閣して、経済財政担当相に就任してしまいました。
菅首相と与謝野大臣はさらに、数年後には年金をもらえる年齢を70歳以上にする道筋をつけようとしてます。実質的に年金減額です。
もっとも、これは寿命が延びている以上しょうがないと私もあきらめています。
私は体調がよいなら歳をとっても現役で働きたいし。


結局、民主党政権になっても、増税や年金減額の流れは変えられないってことです。
むしろ、民主党の基本である社会主義の原則から言えば、国民の所得をできるだけ完全に把握して国のコントロールの下に置くのが正しいわけです。


海外、特にヨーロッパでも、左翼政党が強い国ほど基本的に税金が高いです。
左翼は、バラマキをエサにして主婦層や組合信者をだまして票を獲得しつつ、増税や国民総番号制や年金減額を進めていくのが常套手段です。


民主党政権では、一部の組合幹部や党幹部は潤っているんでしょうが、それ以外のほとんどの国民は損することになります。社会主義とはそういうものです。なのに多くの国民は支持した。


小泉政権では、一部の金融業者や投資家は儲かったんでしょうが、それ以外のほとんどの国民は損しました。新自由主義とはそういうものです。なのに多くの国民は支持した。


○○主義というのが、建前とは別に実際にはどこにお金が集まる仕組みのことなのか、あらかじめちゃんと分かったうえでそれを支持しているなら、それは思想と利益にもとづいたひとつの立場なので、私はかまわないです。
しかしついこないだまで小泉を支持していた同じ人が鳩山を支持したのはもう愚かとしか。周りのムードに流されていれば自分は頭を使わなくていいんでしょうが、それで毎度毎度本人が損をしている。


この世においしい話なんてないのに、国民、特に主婦層ってやつは、小泉構造改革とか鳩山の友愛とか高速道路無料とかガソリン値下げとか子ども手当てとか事業仕分けとか努力しないでできるダイエットとかバッタ品の激安セールとか布団の訪問販売に簡単にだまされるので、詐欺師政治家にとってはとてもありがたい存在なわけです。

これからも自分の頭で考えず一生だまされ続け、搾り取られ続けるのでしょう。


あと今日、日本の国債の格付けが一段下がったそうです。

日本の長期ソブリン債格付けをAAからAA-に引き下げ=S&P

http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-19234020110127


これも予想通りで、だから国債はやばいって以前から言ってるのに。


さらに、心配したように、資源や穀物などの原料価格がこの冬高騰しています。


農水省:小麦の製粉会社向け売却価格、08年以降で最大の引き上げか
http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90920016&sid=aB5iAChKVtUs

今後身近な食べ物がいつの間にか値上がりするでしょう。
世界中で見かけ上景気を良くしようとしてお金を発行しすぎている(金融緩和)んだから、インフレになるのは当然です。


それと、太陽活動が停滞しているので、今年の冬は寒いだろうと去年の秋口に書きましたが、その通りになりました。

人間のCO2が地球温暖化の原因だなどというのは、排出権取引とそれに派生する金融商品をばら撒くための詐欺です。本当は、温暖期・寒冷期は基本的に太陽活動のせいです。


毎日本当に寒くて、例年にない大雪が降っているところも多いようです。
うちも暖房代がかかって困ってます。野菜も相変わらず高いです。


節約しているのに基本的な生活だけで支出が増えています。どう見てもインフレです。
不景気なのにインフレになる(スタグフレーション)のが最悪です。


だいたい、当たってほしくない予想ほど当たるんです。とほほ。


性悪説にもとづいて世の中を見ると、きれい事を言う人の悪だくみが透けて見えてしまいます。それで、周りの人がなかなか聞く耳を持ってくれないのに、あの詐欺にだまされてはいけないと周りの人に伝えずにはいられませんが、それくらい、自分は性悪説の善人だと思ってます(^^;


はずれた予想もあります。
二番底が近々来るだろうという予想は今のところ外れてます。
超党派の財政再建派がいずれ新党を作るのではないかという予想も今のところ外れてます。
あと、仙石官房長官は降りましたが、菅首相はまだしばらく続けるみたいですね。これも予想と半分違いました。自分の願望が入ってしまいました。


とりとめない記事ですが要するに私は世の中に腹が立っているってことです。

藤原京は690年に着工、694年に遷都、全体が完成したのは704年でしたが、糞尿がむしろ宮殿側に向かって流れるという大失敗作だったようで、すぐ汚くなり、710年に放棄しました。

続く平城京は708年着工で、710年にはまだ宮殿とごく一部の建物しかできていなかったのに天皇は早速遷都しました。よほど藤原京の不潔さがイヤだったんでしょう。


平城京は多少ましだったのか、なんとか我慢して暮らしたようですが、この頃から何かと怨霊に悩まされたという記録が増えます。
怨霊とは要するに疫病の流行で、疫病の主な原因は不衛生です。うんこです。
疫病でなくても、一年中うんこの臭いに悩まされたらノイローゼ気味で夢見が悪く、きっと怨霊が見えるような気がしたでしょう。


せっかく平城京を作ったにも関わらず、聖武天皇は必ずしも定住せず恭仁宮、紫香楽宮、難波京へと住処を変えています。
理由はいろいろあるでしょうが、ひとつには「こんなうんこ臭い所に住んでいられるか」という切実な思いがあったのではないかと思います。だいぶ神経質な性格だったようですから。


その後また平城京に戻りましたが、結局、遷都から70年ほどで平城京も放棄し、長岡京、そして平安京へと遷都していきます。
どの遷都の時でも天皇は、宮殿とその周辺だけ建設を急がせてすぐ移り住んでいます。
もとの宮殿に愛着を抱いていないことが分かります。
天皇は、古くて汚い宮殿がイヤで、きれいな新築に一刻も早く住みたかったということが伺えます。


桓武天皇が、平城京の権力闘争や仏教勢力や怨霊を嫌ったことが、遷都を決断した理由だと言われています。でももともと、平城京の都市計画は失敗だったと多くの人が認め、ちゃんとうんこが流れるような土地に引っ越すべきだという以前からの懸案があったのでしょう。(権力闘争や仏教勢力の介入や怨霊(疫病)の流行は平安時代以後もたびたびありました。)


まず自然の川を下水道に利用するつもりで長岡京に遷都しましたが、洪水が起こりやすかったのでここも短期間で放棄しました。
続く平安京では、京都盆地という、北に山があって南に水が流れる土地を選び、自然の川と堀をうまく組み合わせることで下水道の問題を一応解決しました。

こうして長く続いた試行錯誤がひとまず終わり、平安京で落ち着きました。


もっとも、平安時代中期になると律令制が有名無実化して、朝廷には大規模な造営ができるような財力がなくなって、遷都したくてもできなくなったのでしょう。
平安京も、やがて糞尿がたまって不潔になりたびたび疫病が流行しました。
なにしろ当時の貴族のマイカーは牛車で、牛は大量の糞尿をするので。


それでも平安京が首都として長く続いたのは、堀川が下水道としてそこそこ機能したことや、もともとかなり未完成のまま(右京区が農地や荒地のまま)遷都したので人口増加を多少は吸収できる余地があったことや、やがて糞尿を肥料に使うようになったことが理由でしょう。


平安時代末期には平清盛が実権を握りました。まずやったことは、福原(神戸)への遷都でした。福原遷都は、清盛が朝廷の権威をないがしろにしている証拠だとみなされ、貴族の支持を失った原因とされています。結局また京都に戻りました。


しかし、福原(神戸)遷都は良いアイデアだったと思います。

瀬戸内海に面して貿易や物資輸送に便利なところなら大坂でもいいはずですが、なぜ大坂でなく福原なのかというと、福原は、山が近くて六甲のきれいな水が手に入り、傾斜地なのでうんこが川に素早く流れて、町の清潔さを保てると期待できたからでしょう。武士らしい、実用第一の発想です。

想像ですが、平清盛は潔癖な人で、平安時代末期の京都の汚さに我慢ならなかったのではないか。だから、遷都するなら当時低湿地だった大坂でなく、いっそのこと少し遠くてもずっと清潔な福原のほうがいいと思ったのかもしれません。


平家政権は短命でしたが、その後も武士政権が長続きしたのは、武士は農民の親玉であり、うんこを肥料に使うという画期的なアイデアを嫌がらず広めて、領地の農産物の生産アップに大いに貢献したためだと言われています。
うんことの戦いはまだまだ続きましたが、武士はうんこを肥料に利用することで勝利を収め、次の時代の担い手となっていったわけです。


江戸時代の江戸は人口100万人で当時世界最大の都市でしたが、当時の外国人が驚くほど清潔な町でした。
幕府は玉川上水を引いてきれいな水の確保に努め、利根川を改修して江戸の洪水を防ぎ、また下町に運河をめぐらして汚わい船でどんどんうんこを運んで肥料に回すなどしたためです。

今、日本の政府系ファンドが、上下水道や水洗トイレなどのインフラを海外に売る事業を展開しつつありますが、私は大いに期待しています。水やトイレ関係の事業は日本の伝統であり強みです。
その上、うんこの画期的な利用法を編み出せば、ひょっとしたら次の時代を制することができるかもしれません。


これで日本史が快便のようにスッキリしました。未曾有の快便だー!(えの素)

さて、平和だった日本も、7世紀の飛鳥時代になると再び戦乱の世になりました。
それは6世紀末に大陸で隋が、続いて7世紀に唐が統一国家として成立したことと密接な関係があります。

大雑把に言えば、強大な力を持つようになった中国にどう対抗し独立を保つのか、またそのために(古墳時代にはわりとのんびりやっていた)日本の統一、中央集権化を早く進める必要に迫られたがどうやって統一するのか、また情勢が変わった朝鮮半島の国々との関係をどう清算するのかで、国内がもめにもめたというのが戦乱の理由でした。


日本の歴史とは、外国(中国や欧米列強)が自国のことに精一杯で日本に目をつけていない間は平和を謳歌することができるが、外国が強大な力を持って日本に圧力をかけてくるようになると、征服されないよう急に必死になり、外国かぶれした急進改革派が現れたり政権が戦時体制を敷いたりしてさまざまな軋轢が起こり戦乱となる、というのをこの2000年間延々と繰り返してきた歴史だと思えばよいです。

必死になって防衛するのは良いことですが行き過ぎた外国かぶれはダメですね。私が繰り返し書いていることですが。


飛鳥時代の戦乱は数十年続きましたが、なんとか収束しました。
日本は唐にならって律令を作って税制や人事を改革し、日本各地を結ぶ道路を整備し、大宰府という外交窓口を作りつつ防塁を築き防人を配置するなど、持続可能な防衛体制を作って、先進国らしい体裁を整えました。

そして先進国にふさわしい首都として、7世紀末に藤原京、続いて8世紀はじめに平城京を建設しました。


(ついでに、記紀(古事記・日本書紀)が編纂されたのはこの時期です。天皇家(と藤原家)が飛鳥時代の戦乱を勝ち抜いて日本を統一したことを超大昔にまでさかのぼって正当化するのが目的に書かれたものなので、天皇家が太古から地方を戦争で平定したり威圧して従属させた話ばかり出てきます。しかしだからといって本当に天皇家が古墳時代からひたすら戦争をやっていたわけではありません。中国側の記録や、今のマスコミと同様、偏ったニュースの寄せ集めです。
仮に記紀の話が本当だとしたら、天皇家は紀元前7世紀の神武天皇から1200年以上かけてやっと日本を統一したわけなので、世界的にもまれなずいぶんのんびりした征服活動と言えるし、戦いの話ばかりとは裏腹に、むしろ暇で平和な時期のほうが長かったと言うことができます。)


藤原京、平城京は、纏向のあと久しぶりに作られた大規模な都市です。統一国家にふさわしい都を外国に見せるために、唐の長安をまねて平地に作られたものです。

つまりこれらは、日本の気候風土や清潔さを優先して作った町ではなく、権力者が外国かぶれして、外国人に対して精一杯見栄を張るために作ったデザイン優先の町です。


もちろん藤原京や平城京でも糞尿の問題を無視したわけではなく、運河を引いて、道路わきにどぶを作って糞尿を流すようにしました。
しかし、長安を大真面目にまねて(風水の思想で)南向きに町を作り、土地の傾斜がほとんどない(奈良県はむしろ南に山があり北へ水が流れる)土地を選んで作ってしまったのは大失敗でした。
藤原京・平城京は、どぶが流れず、うんこがたまって住みにくい町になってしまったそうです。

だから外国かぶれしすぎちゃダメだって言ったのにさ。(って言ってもしょうがないんですが。)


次回に続きます。

昔はうんこを肥料に使っていたから問題は大して起こらなかったのではないかと私も長い間思っていましたが、実は肥料に使うようになったのは鎌倉・室町時代以降だそうです。
またうんこを遠くまで運べるようになったのは室町時代後期に桶が発明されてからです。
さらに汚わい屋とか汚わい船というのが登場するのは江戸時代になってからです。

鎌倉時代以前は、糞尿はどうにもならない、大変困った問題だったわけです。


話を古墳時代に戻すと、当時の中国による周辺民族の記録は戦いや朝貢の話が中心なので、古代日本もやたら血なまぐさい戦いの連続だったと思う人が多いかもしれません。
しかし遺跡からは、(弥生時代後期1~3世紀の日本は確かに戦乱の時代で、人々は環濠集落や高地性集落のような戦いに備えた集落を作って住んでいたようですが、)古墳時代(4世紀から6世紀)になるとそのような集落はなくなっていきます。
人々が清潔な環境を求めることができるようになったこと、つまり戦いに備えた集落の中で不潔さを我慢する必要がなくなったと見るのが自然でしょう。
自分のうんこと戦えるくらい、他人との戦いがない時代になったと言えると思います。

(人々が狭い集落から出ることができたのは、石器の農具に代わって、鉄のクワなどの農具が普及して耕作が楽になり、耕作地を大幅に増やすことができたことが大きいでしょう。)


古墳時代の日本は、食料が豊富で人口が増加し、人々は町を城壁で囲う必要を感じず、各自治体が古墳作りという公共事業を熱心にやれるくらいヒマがあって、纏向のようにうんこを水で流す仕組みを作ったり、大王は宮殿をより豪華に増築するよりも1代ごとに引っ越して新築に住むことを好んだわけです。
要するにけっこう豊かで清潔志向で平和な国だった、と私は思います。


この清潔志向に加えて、人々は万物に神が宿ると考えたり、神社で地元のいろんな神々を祭ったり神楽で女の子が歌って踊るのを楽しみに見ていたんですから、今の日本人と似たようなものです。

なにしろ今でも「トイレの神様」という歌が流行る国です。まさに伝統です。こういう歌が流行るのは日本くらいなものでしょう。たぶん。


(日本は、鉄鉱石や製鉄技術者の略奪か、示威行動か、故郷維持か、領土拡張か、同盟国への援軍か、本当の目的は不明ですが、時々朝鮮半島へ出兵していました。でも次第に尻すぼみになっています。

6世紀には日本でも製鉄ができるようになりましたが、ちょうどその頃から朝鮮出兵をやめるようになったので、出兵の一番の理由は鉄だったのではないかと思います。)


中国側の記録やウソ臭い記紀などの文字情報を一旦置いて、遺跡を素直に見て分かることは、古墳時代の日本は民族大移動の最中だった同時期の大陸に比べてずっと平和だったということです。

中国(その頃は魏晋南北朝時代)の権力者は、国内の陰謀や戦いを勝ち抜くのが精一杯で、対外的に積極的な攻勢に出る余裕がありませんでしたが、それでも周辺民族に対しては一応華夷秩序を守らせようとしていました。
皇帝は、周辺民族が中国を中心とする秩序にちゃんと従っているか、また戦乱を起こして拡大して秩序を乱すことになりはしないかということに気を使っていました。

そのため中国側は、4世紀から6世紀の日本について、平和なことは記録せず、平和な中でも時々起きた権力闘争の話と、時々中国に朝貢にやってきた話ばかり記録に残したのでしょう。それが今多くの誤解を生んでいるもとになっていると思います。

中国歴代王朝にとって、古墳時代の日本に注意を払うべき事件は飛び飛びにしか起きず、普段は特に記録するほどのこともない「退屈な蛮族」という程度の扱いだったのではないか。記録に乏しいのはだいたい平和だった証拠ではないか、と私は思うのです。


今も、年末の「今年の重大ニュース」を読むと、毎年毎年悲しい事件ばかり起きたかのようで、もう世界は絶望的であるかのように錯覚してしまいますが、実際はそんなことばかりではありません。マスコミは非常に偏った記録を残してしまうのです。
(マスコミは「今の人々の生活を正しく記録し後世に伝える」のが目的でなく、「他人の不幸は蜜の味」「流行に乗り遅れると不安」「昔は良かった」という人々が喜ぶような話題ばかり選んで紙クズ記事を書いて売る商売です。図書館に行って少し前の新聞の縮刷版を読んでみれば、なんでこんな本質と関係ないくだらないことに大騒ぎしていたのかと思うでしょう。)


うんこの話から遠ざかってしまいましたが次回に続きます。

具体的な例で見ると、3世紀の弥生時代後半のもので大和国(奈良県)に唐古・鍵遺跡というのがあります。
これは低地に作られた環濠集落で、首都かどうか分かりませんが、当時としては規模の大きい町だったようです。
しかしやがて衰退し、この集落を囲う大環濠が埋め立てられ、放棄されました。


これは別に、戦争で敗れて町が破壊され堀が死体で埋めつくされたなどというおどろおどろしい話ではなく、長い間そこの住民が大環濠をゴミやうんこの捨て場にしていたが、人口が増えると自然分解が追いつかず腐敗がひどくなったので、大環濠を埋め立てて町を放棄したと見るのが自然でしょう。


本来、環濠(堀)はうんこの捨て場としてというより、弥生時代の倭国大乱の頃には町全体を敵から守る役割が大きかったでしょう。
しかし大乱がおさまってきて、人口が多くなって環濠の水の腐敗が進むと(特に夏は臭かったでしょう)、環濠で集落を囲うマイナス面が目立ってきたと思います。


唐古・鍵に続いて、3世紀末から4世紀前半(弥生時代末期から古墳時代初期)には、同じ大和国の纏向(まきむく)に大規模な町が作られました。これはかなり計画的に作られた首都らしい町だったようです。

ここがまさに邪馬台(ヤマト)国の都だったという説が近年強くなっています。

纏向の町は背後に三輪山や巻向山を持ち、傾斜した扇状地に作られたもので、自然の川のほかに運河も掘って下水道にしていました。

たぶん当時の人々は、低地の環濠集落だと糞尿が腐りやすくて困ったので、問題を解決すべく傾斜のある土地を選んで町を作り、その町中に水路を通し、流れる水で糞尿を流す仕組みを作ったのでしょう。昔の人もちゃんと科学的にものを考えていたのです。
同じような仕組みはつい戦前まで多くの地方都市の旧市街にありました。


しかし纏向でも、長期間に渡って大勢の人が住めるほどの糞尿処理能力はなかったようです。
実際、発掘調査の結果では、居住区はほとんどなく、ほぼ行政区として作られた町だったようです。ここに多くの人々が住み着かないように制限していたのでしょう。


纏向は当時としてはわりと長い間首都であり続けたようですが、結局ここも数十年で放棄され、大王は再び小規模な宮殿で済ませて、1代ごとに大和国内を転々と移動するようになりました。一時的に纏向に戻ったこともあるかもしれませんが。


纏向もそうですが、それ以後も町を囲う城壁や堀を作らなかったので、実は古墳時代の日本(少なくとも畿内)は、同時代の海外に比べるとかなり平和だったはずです。

大陸の人々のように外敵を常に想定し恐怖心から城壁を作るよりも、また権力者が宮殿を石造りの壮麗なものにして威光を知らしめるよりも、少しでも清潔な環境を求めることに精を出していたわけです。今も続く日本人の清潔好きはこの頃からすでに始まっていたんでしょう。


日本人は、異民族との戦いよりも自分が出すうんことの戦いに明け暮れたのです。


次回に続きます。

あらかじめ断っておきますが、私はうんこが嫌いです。これからうんこの話を延々と書きますが、決してそういう趣味の持ち主ではありません(^^;


都市は多くの人が集まる場所です。まず困るのは水と食料の入手と、うんこの捨て場所です。


水と食料については金と権力を持っていれば遠くから運ばせて手に入れることができますが、うんこは生活しているまさにこの場所で誰もが出すもので、そう遠くまで捨てに行く労力をかけたくありません。汚くて臭いから。
こうして遠くから都市に生活物資が運ばれる一方、うんこは放っておくと都市とその周辺にどんどんたまっていきます。できればうんこが自然の力で分解されたり流れてくれればありがたいです。


大陸の国と違って、日本は温暖湿潤な気候で腐敗が進みやすいです。日本は暖流の黒潮と対馬海流に囲まれた島国なので、中世寒冷期でも、大陸の同じ緯度の土地に比べると温暖だったと思われます。
そのため、寒冷期にも関わらず稲作ができ、古墳時代の日本では人口が増え、畿内にそこそこの町ができるほどになりました。


弥生時代末期から古墳時代、大王はほぼ1代ごと(数十年程度)で大和国(奈良県)内を転々と移動して、そのつど宮殿を作り直していました。その結果現在ではあちこちに宮殿の遺跡が残ることになります。


まだ文字がない時代の出来事なので、現代の人はなぜ都が捨てられたのかと疑問に思うことになります。

たとえば、頻繁に王朝が交代し、そのたびに戦があって古い宮殿が破壊されたのではないかとか、宗教上の理由ではないかなどと考える人もいるようです。ひどいのになると宇宙人とかトンデモ説で説明しようとします。


でも頻繁な遷都の本当の理由は、一箇所に長年住むと、糞尿がたまって臭くて住めなくなったからでしょう。昔は地下を走る上下水道や下水処理場やごみ焼却施設などなかったのですから。
都会での清潔な暮らしが当たり前になってしまった現代人は、うんこ問題のことなど忘れていて、現在の自分を基準に頭でっかちにものを考えてしまいがちです。

古代人は、慢性的に衛生問題に悩まされていて、それをどう解決するかが一生の問題だったと言っても過言ではなかったはずです。


権力者としては、人口が多いほうが労働力になるし、税をたくさん集められてよいのですが、うんこの処理が追いつかなくなるほど人が集まると不衛生で疫病の原因になるので、そのバランスをとるのにかなり苦労したと思われます。

私は、権力闘争や宗教でなんでもかんでも説明しようとするインチキっぽい古代史解釈より、当時の人がトイレをどうしていたか、また権力者が上下水道などインフラ整備にどう心を砕いていたかどうかに興味あります。
もっとこう、読むだけでうんこの臭いが漂うような、生活実感を伴った学説を読みたいです。

日本古代史をあまり難しくミステリーに考えず、うんこの問題として考えればかなりスッキリするはずです。うんこの話はみんな嫌がりますけど。


またテレビの歴史番組では、遺跡発掘調査を元にやたら清潔な感じの復元想像図が出ますが、あれはかなり誤解を生むと思います。
宮殿の完成直後はきれいだったかもしれませんが、人口が増えたり、台風などの自然災害で糞尿があふれたり逆流したりしたらもう掃除が追いつかなくなって、どんどん汚くなっていったことでしょう。
そういう、古くて汚くなった頃の宮殿や町の頃の状態も復元してほしいです。
そうすれば、そこに住み続けるより、まるごと引っ越してきれいな土地で最初から作り直したほうがよいというのがごく当然のこととして分かるし、おかしなオカルト解釈が入り込む余地はほとんどなくなるのではないでしょうか。


次回に続きます。

正月は街明かりが少なくて星がよく見えます。
都下の自宅でも4等星が楽に見えました。

今回は、おおいぬ座の星団M41と、オリオン座の星雲M42のスケッチを描いてみました。


M41です。
空青のブログ

M42(オリオン大星雲)です。
空青のブログ

機材は10倍50mmの双眼鏡(旧東ゲルマンのツァイス「デカリス」)です。
名前はそのままデカちゃんです。

ステラナビゲータ8と照合したら、ほぼ9等星まで見えていたことが分かりました。一番暗い星は9.3等でした。


口径50mmの対物レンズの集光力はどれくらいかと言うと、肉眼(口径7mm)に比べて直径で7.1倍の差、面積で約50倍の差です。

50倍広い面積で受け止めて集めた光が目の網膜に届くわけなので、(光の減衰や反射がないとすれば)星の光は50倍明るく見えます。
50倍の明るさを等級(対数)で言えば、肉眼よりも約4.2~4.3等暗い星まで見えることになります(2.5*log50=4.25)。
従って限界等級は、肉眼で6等まで見えると仮定すれば、6+4.25=10.25等です。これがカタログに載っている値です。


今回は9~9.3等まで見えたので、逆に考えれば肉眼では4.7~5等くらいまで見えていたことになります。
新宿から距離20km弱のところにしては非常に良い空でした。


デカちゃんは、国際光器から10年以上前に新品(長期在庫品)で買ったものです。とっくに製造が終わっています。私の機材はそういうものばかり。
広い視野とコントラストと中心の鮮明さが良いです。しかし周辺像は大きく崩れて、星がゾウリムシです。

星が点になるのは視野中心から周辺3割くらいまでという、じゃじゃ馬です。

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「ギャラクシーエンジェル」はゲーム、アニメ、漫画、ライトノベルなどいろいろな形で売り出された企画ものです。その中でもアニメは非常にバカバカしくて面白いです。企画が終了してもう何年も経ちましたが、これを超えるSFギャグはありません。

一話完結式のギャグで、投げっぱなしと言われる通り、毎度キャラが変身して戻れなくなったり押してはいけないボタンを押して全滅したりしますが、次の話では何事もなかったかのように始まります。

シリーズは、第1期(無印)、第2期(Z)、第3期(A&AA)、第4期(X)と続きましたが、特に第3期(A(エース)とAA(ダブルエース))のバカバカしさとキャラの動きのよさはすばらしく、天才バカボンやルパン3世の最盛期に匹敵する面白さです。そういうのが好きな人にはおすすめ。(Amazon へのリンクはA(エース)のDVD)