機動車の後輩をお出迎え
新築現場のプレハブ前に来てみると、ブルーシートが気になり捲って見たが変化はない。戻って道場のワゴン車に乗り込み、シートを斜めにして目を瞑る
何とも長い一日が過ぎ午前2時半だ。
しつこい〇国マフィアだ中東の国が関与しているのか、川渡がマークされたのかチャンの個人的な行動だったのか、心配の種が残る。
ウトウトしたときスマホが着信(いま古川を降りて西方に向いて走行中)とLINEで来た
折り返し(お疲れ様、20~30分くらいです)と返信
ワンボックスのエンジンをかけ、静かに県道に出る。そろそろ祖父たちも戻るころだが国道の入り口までゆっくり走る。
国道も通行量が無く、クラウンがゆっくり曲がってきて、反対車線に止まる。
「もう来るのか?」と祖父が
「ちょっと前に古川を降りたようで、退屈なので降りてきました、女性陣が気が付いて責められるので離れて来たところです」と本音を言う。
「そうか、送り出すまでは気づかれないようにと思っていたが、気付いたか?」と祖父
「いや~まだ骸になったとは言っていません、機動車に載せてから話そうと思います」
「そうだな それが良い、兎に角先に帰っているから」と言うと、榊原さんが
「私も降りてお待ちします」とドアを開けた。境原さんがドアの外で
「有難うございました、お陰で傷は落ち着き、痛みも薄らいできました。有難うございました」と礼をする
「痛みが治まったのは、薬のせいで切れてくると痛くなるかもしれないよ」と注意しながら車を発進させる。
「こんな夜中に病院が開いて、居ましたか?」とまさるが気にする。
「え~開けて頂きましたが、看板は内科・小児科で驚きました」
「あぁ個人医院でしたか」
「外から見ると暗いのですが、診察室は明るくきれいで、ホッとしました」と本音を。
「内科でしたが、ガラス戸の棚からアルコールやガーゼやピンセットや手術刀など外科の治療セットをテーブルに並べ、目でチェックして居ました。
本格的な外科の治療室に変り、私を診療台に載せ(柏木くん流しの脇の湯沸かしから湯をボールに注いでくれ)と声をかけ、お爺様を君付で呼ぶので仲がいいんだな思いました。
お爺様も気軽に棚からボールとタオルを出し、湯を注ぎ準備していました。傷の縫合も手際よく、お爺様にガーゼを浸してというちアルコールに浸し、ライトの角度を変えてとか、まるで看護婦に言うように指示するんですよ」
治療が終わり、用具を片づけながら
「風呂は傷を押しても痛みを感じなくなったら大丈夫で、その時抜糸するから来なさい。こんな夜中は受け付けませんが、この人が付き添いなら仕方がないので対応します」笑う。
「そうだな、来るときは四合瓶一本忘れないように」と念を押す
「又飲む気か、今度来るときは「こも被り」でも何でも持ってくるよ、昔の木阿弥には戻りそうに無いから大丈夫だろう」とお爺様が笑っている。
「何とも磊落な問答で戸惑ってしまいました」と吊り下げた左腕をなでる。
「不思議な関係ですね」とまさるも考え込む。
「いやぁ帰りの車で聞きましたが、波乱万丈のストーリーでした」
山田先生は東京の総合病院で外科部長を務めていたが、奥さんの病気治療で鳴子に借家して治療に専念、落ち着いたので古川の実家近くに、奥さんの治療用に内科・小児科を開業したようです。
それでも快方には向かわず50代で先立たれ、ショックで医院は閉じたままその後は酒浸りで仕事は出来ず、看護師・スタッフも離れ、荒んだ生活に落ち込んだ。
お爺さんは鳴子で静養すれときも、全面的に支援し時々見舞いして、古川に戻る時も身近なので応援した。土地は親の代から大きな屋敷だったので、一部を用地にして工事一切をお爺さんが関わって仕上げた。
地元では、内科・小児科だが本業は看板にない外科が専門だったので、なんでもできる掛かりつけの頼れるお医者さんで信頼があった。
祖父は山田医師の状態を承知、一気にリカバリーする作戦を正一さんや関連する業者を確保1日で回復作戦を考えて、材料は全て揃えて自宅倉庫に保管して、実行した。
長期作戦アル中状態が精神的なダメージをクリアすることを考えて来た、時間を置いて時々屋敷の清掃・整備を従業員を伴って片づけて来た。先生は他人に暴言・暴力を振るう人ではないので、隣り近所でも当たらず触らずで距離を置いていた。
お爺様がショッチュウ尋ねて話し、家の周りだけでなく屋内も整備するため、本人を外に誘いその間に建築業の長男正一さんとその配下とリホォームの子会社を動員して、表も屋内も真新しく仕上げる。
その日はお爺さんと大学生の香織さんが付き添い、鳴子の江合川添いの「農民の家」と言う、民間組織の温泉設備を予約した。
一定の料金で一日中滞在でき、湯と団らん室は自由に使え、食事は種類が豊富で、農家の人たちは自炊でも湯治できる施設だ。
酒から切り離しの一歩目で、二人で何回か温泉に入り汗を流し酒が抜けた先生は、歩行は覚束ないが顔色が明るくなり言葉もはっ切り喋る。
医院の手前に理髪店が有るのでその駐車場に入る、ちょうど奥さんが出て来たので「山ちゃんが床上げなので綺麗にしてください」と冗談を言いながらはいる、
「あぁら先生顔色が良くて元気になりましたね」と理髪椅子に導く。
ご主人も隣のお客が終わり
「それでは一年振りの散髪を遣ってみますか?」と伸びほうだいの髪をバサリ・バサリと鋏を入れる。
髪を切ると若返り一層明るい顔になる。みんなに冷やかされながら車に乗り
「一年もカットして居なかったんだな、おやじ良く覚えていたね」と微笑む。
車で医院の駐車場に入ると
「随分きれいなったな?」と呟き、待って居た正一さんが
「お帰りなさい先生!」と祖父の車のドアを開けて手を貸す。
「おぉ正ちゃんがやって呉れたのか?」と笑顔になる。
「まぁそうですが、家の若いのが手伝ってくれました」
先生は車の外に立って、周りをゆっくり眺めていたが
「信ちゃんに気を遣わせたようだな」と祖父の顔をマジマジと見つめ。目を潤ます。
「な~に山ちゃんは病気なんだから、気にしなくて良いよ、中に入って落ち着こう」と先に立って玄関に入る。
家は祖父が建て、一年前までは治療居た医院だが掃除をしただけで蘇った。
「あれっここは我が家だったかな?」と言いながら、玄関から待合室にしている広間と診察室を眺めている。
居間やキッチンも掃除しながら、アルコール類は一切始末し、流しや床に散乱して居た酒やビールの空を始末、カーテンも明るいもに変えた。
翌日には、以前勤めていた50代の看護師が「回復した先生の為に、協力します」と率先して戻って呉れた。知り合いの高校での女性が看護士志望なので手伝いと言って一緒に来てくれた。再出発に相応しい話で、春から看護学校に入校するらしい。
ここの部分は、祖父が機動車が帰った後で、朝食後に家族に経緯を説明した時、隠す事でも無いのでその経緯を丁寧に話し、頼もしい友人の存在を披露した。
榊原さんの傷も外科専門医にかかれば、当然刺し傷だから警察に通報される事案だ。
痛くもない腹を探られるのを避けるたむには、非公式な治療は有難い。
国道もほとんど交通量が無く、県道は30分で2台だけだった。
その時、国道から黒い車が曲がってきて、静かに止まる。
黒ではなくブルーの濃い機動車だった。
役所の後輩は礼儀正しい
「柏木〇視久しぶりです」と二階堂〇部が直立で挙手の敬礼をして居る。
斎藤〇部補も直立で挙手の敬礼だ。
まさるも軽く右手を上げて、挙手の礼をする。
「ここは田舎だから、気楽にして呉れ、ごめんなこんな時刻に四百キロも走らせて、申し訳ない」
「いや~とんでもないです、仕事ですしドライブも好きな方ですから、お気を使わないでください」榊原さんも、丁寧に頭をさげ「その節はお世話になりました」と挨拶。
「あぁカンさんもご一緒でしたか?」と懐かし気だ。
「厄介な奴が出没して戸惑ったよ、まぁ現場で話そうか」とワンボックスに乗る。
「ついて行きます」と機動車に戻る。
まさるもエンジンをかけ静かに発進。


