アンドリュー・ワイル氏が、著書『癒す心 治る力』の中で、”なぜ病気になるのか?”という質問に対して・・・
アンバランスを引き起こしている力または情況が
バランスを回復しようとする治癒系の能力を超えている場合
として、そのアンバランスを引き起こす力がなぜ存在するのかという問いに対しては哲学的な探究が必要となる。と書いています。
この説明は、鍼灸臨床でもよく使う言葉であり、的を得ているところですが、では、どこまでがバランスがとれた状態か、どこからがアンバランスなのか・・・本当に哲学的な探究が必要となってくるのかもしれません。
私も、年齢が人生半ばを過ぎると、同級生や身近な人たちが病気になり、時には病気が悪化して後戻りできないまでになる知らせを目の当たりにします。
本当に身近に起こりうる出来事として、自分の心身もきっちり振り返ってあげないとな~と、真に思うわけです。
人の身体をみて治療をする立場だからこそ、自分の身体と心も大切にしないといけないのだと、最近よく感じます。
貝原益軒『養生訓』~元気を乱費しない~
気を養うには「嗇 ショク」の字を心がけなければならない。老子はこの字の意味をこういう。嗇とは惜しむことだ。元気を惜しんで乱費しないことである、と。
たとえば吝嗇(リンショク けち)な人が金が有り余っていても惜しんで他人にやらないのと同じようにすることである。
気を惜しんで減らさなければ長生きであろう。
もう少し良き表現はなかったかな?!とは思いますが、ようは自分の気を減らさないような生活を心がければ、健康で長寿であると言っています。
自分の身体の中の「気」を減らしすぎないこともさることながら、外からのエネルギー源の摂りすぎも不健康になることを言っている方もいます。
江戸時代の観相家、水野南北 氏は、顔貌・容貌と食の立場から、人生の運命や人の性質を説いて話されています。
(自分自身の)分限より大食する人は運が良くありません。諸事思うようにならず、思いがけない損失があります。天から与えられた食には限りがあります。それにも関わらず分限より多く食べることは、天に食の借りを作ることになります。・・・
天は待ったなしに返済を迫ります。自分が借りたものを返すことは天地の理です。
だから分限よりも大食する人は不運で、不思議と災難や損失が多くあります。これは天が人を戒めるために取り上げたと悟ることです。 ~南北相法 修身録 より~
現代科学でも、食事をすると活性酸素が放出されることが分っています。病気が発症する原因といっても過言のない物質ですが、適量であれば血圧の調節などに身体に必要な物質なのです。
また少しのオーバーくらいであればお掃除役の酵素や、その毒性を打ち消す物質も身体の中に備わっています。
身体って絶妙な機能を持って見えないところで働いてくれています。いい子なんです!
では大食するとどうなるか・・・分りますよね。
活性酸素が身体のあらゆる細胞膜を傷つけ、遺伝子までも傷つけることになるわけです。
その状態が長く続くと・・・病気ですね。
それぞれ生活環境や社会のおかれている立場は違いますが、この精妙な身体を使わせてもらっていることは、国も人種も宗教も全く関係なく同じです。
毎朝、起床した時に、”また一日、この身体と心で生活できることにまず感謝だな”と、声をかけてみることも必要なのかもしれませんね。
そこから自分の身体や心への意識が高まり、どう生活していったらいいのか、どう人生を歩んでいけばいいのかが理解できるのかもしれません。
カラダちゃん、ココロちゃん、いつもありがとう!!
私も毎日、声をかけていきたいと思います✨
最後までお読みいただき、ありがとうございます。