『週刊 豊臣大坂城をつくる』の道のり③ | 城郭模型製作工房

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城郭模型作家・島 充のブログです。日本の城郭および古建築の模型やジオラマの製作過程を公開しています。

企画の方針がだいぶ固まったところで、天守模型の設計に取り掛かりました。


まず、監修の三浦先生に電話して、2点のことを確認しました。

●一間は七尺でよいか

●「大坂城図屏風」の模型化でよいか


これが決まらないと先に進みませんからね。どちらともOKでした。三浦先生は「大坂城屏風」が資料価値が高いという評価をされているのです。


私は屏風絵については、どれも間違っている、という立場です。絵空事なので。近年では、絵画史料を根拠とすることにはかなり慎重な流れがあります。この辺りきちんと書こうとすると大変になるので割愛します。


「大坂城図屏風」の描写が信頼できるからこれを資料として復元する!ではなくて、「大坂城図屏風」の天守を現実的に立体化したらこうなる、というスタンスです。ただ、新たにやるからには大坂城図屏風版の天守としては決定版にしたいですよね。


まず叩き台づくりです。とにかくこねくり回す粘土の塊を作らなければなりません。そうやってできたのがこちら。


今見ると恐ろしくカッコ悪いです。

ただ、方針は最後まではっきりしていました。つまり、屏風の描写の通り、二重目以上は全ての屋根を入母屋で構成する、ということです。「大坂城屏風」を元にした復元案では、四重目を入母屋にせずに腰屋根として千鳥破風を載せるものも見られるのですが、私は屏風の立体化なので、描写そのままの屋根にしたいと考えました。

しかし、ご覧の通り、最上階の廻縁が四重目に埋まってしまっています。かといって、廻縁を高くすると首が長くなって不恰好になるのですね。この塩梅が大変難しい。


次に対案として、あまり縛られずにかなりアレンジしたものも考えてみました。


これは最上階周りを、熊本城天守最上階周りの囲いを取り去った状態にしてみたものです。


こんなアイデアもありました。

パーツを取捨選択することで、それぞれの屏風に似た天守を作ることができる、というものです。パーツの選び方によって、自分だけの豊臣大坂城天守が作れるわけです。しかしこれは無駄になるパーツが多いため保留となりました。


さてここから念を入れてブラッシュアップしていきます。






柱通りと窓高の検討もして

こうやってこねくり回しながら、頭の中で立体像にしていくわけです。


そして最終的にA案を採用することにしました。


この決定までに、三浦先生の指摘は「垂木は四枝がいい」、という一点だったと記憶しています。

AとB、どちらがいいでしょうか?と聞いても「これは島さんの作品だから好きにして下さい。おかしなところだけ言います」と、こちらを尊重して下さるのです。これはこの後も最後まで一貫していました。私とすれば、試されているような気もしてとても緊張しましたが、好きにやらせてもらいました。


さて、A案に絞られたところで、さらに細かいところの整合性、内部構造も考えながら、模型としての設計に入ります。ここからおよそ40枚の模型図面の作図に進みます。