新たな謎。岡山城古絵図 | 城郭模型製作工房

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城郭模型作家・島 充のブログです。日本の城郭および古建築の模型やジオラマの製作過程を公開しています。

ちょっと脱線します。

今日何気なく池田家文庫の絵図を片っ端から眺めていたら、こんな古絵図を見つけました。

「御城弐分割之古絵図」

月見櫓など中の段の北半分が既にあるので、元和以降だとは思いますが、細かいところに興味深い点がたくさんあります。

まず、建物の名称が違っていること。

内下馬門→目安ノ門

花畑隅櫓→満か奈いたい所(まかない台所)
馬場口門→うら門

花畑御殿がなく、長やだけであること。

本段御殿が無く、「御本丸台所」だけであること。

表向き御殿が単純明解なつくりであること。

個人的には「上台所」の南側が、広い「ぬれゑん」になっているのは心強い発見でしたが。

本段御殿がないので、当然渡り廊下もありませんが、廊下門のところは四間の石垣で塞がっていて、三間四方の「うつミもん」(うづみ門)になっていること。
かなり古い時期の岡山城内の様子だということは分かります。


そして最大の謎がここ。
中の段と本段をつなぐ不明門の部分です。

不明門が十間に八間の巨大な建物になっています。
「門屋くら」と書き込みがあり、櫓門ではあるようですが、十間に八間というと天守並みです。

さらにその横に書き込みがあります。

くずし字検索にかじりついて…

2時間くらいかけてやっとこれが「千帖敷」であることが分かりました。

千帖敷 門屋くら!!!

不明門が豊臣大坂城の表御殿(千畳敷)の曲輪の正門である桜門とそっくり、と以前書きましたが…

まさか桜門が十間に八間はあり得ないのですが、豊臣大坂城の詰ノ丸、黒鉄門脇の巨大な櫓台状の区画が十間に八間だったり、

と、「千帖敷」という言葉から想像が膨らんでしまいました。

まあ、これは飛躍しすぎとしても、十間に八間の櫓門とは一体どのようなものだったのでしょうか。

あるいは岡山城の前身である石山城の天守を移していたのか??など、妄想は膨らむばかりで…

(↓石山城の天守台跡)

古絵図、面白いですね。