今日何気なく池田家文庫の絵図を片っ端から眺めていたら、こんな古絵図を見つけました。
「御城弐分割之古絵図」
まず、建物の名称が違っていること。
内下馬門→目安ノ門
馬場口門→うら門
花畑御殿がなく、長やだけであること。
本段御殿が無く、「御本丸台所」だけであること。
表向き御殿が単純明解なつくりであること。
本段御殿がないので、当然渡り廊下もありませんが、廊下門のところは四間の石垣で塞がっていて、三間四方の「うつミもん」(うづみ門)になっていること。
かなり古い時期の岡山城内の様子だということは分かります。そして最大の謎がここ。
中の段と本段をつなぐ不明門の部分です。
「門屋くら」と書き込みがあり、櫓門ではあるようですが、十間に八間というと天守並みです。
さらにその横に書き込みがあります。
千帖敷 門屋くら!!!
不明門が豊臣大坂城の表御殿(千畳敷)の曲輪の正門である桜門とそっくり、と以前書きましたが…
まあ、これは飛躍しすぎとしても、十間に八間の櫓門とは一体どのようなものだったのでしょうか。
あるいは岡山城の前身である石山城の天守を移していたのか??など、妄想は膨らむばかりで…
(↓石山城の天守台跡)