岡山市北区磨屋町の岡山寺様で公開中です。
何度かに分けて、模型製作の成果を総括する記事にします。
今回は本段の1回目です。
今回、天守は戦前の貴重な実測図である仁科氏の図面を基調に模型に起こしました。
図面の段階で薄々感じてはいましたが、実際に立体にしてみると、最上階周辺が古写真よりもどうも潰れて感じます。氏の実測は内部からのみで、おそらく最上階入母屋の野小屋が考慮されていないと踏んでいます。四重目唐破風とその下層の入母屋の棟の高さも今後検討の必要があるでしょう。
それでも岡山城らしさを損ねてはいないと思います。
模型の製作の期間中に、天守南側からの全貌を写した新たな古写真が2種類も出現し、そのうち一枚は模型の所蔵先である岡山寺様が現物を入手されるという、これは貴重な発見であったと思います。
それでは本段の建物を。
【不明門】
牙城郭実測図では素木の真壁に描かれますが、古写真では塗籠の真壁となっています。屋根には一対の鯱をのせます。
今回は塗籠の真壁として造形しました。
門の内側には番所があります。
不明門から多聞櫓で繋がる三階櫓で、本段の南側正面に位置します。「三階櫓」と呼ばれますが、寛保期のものと見られる「御本段絵図」には「武具方三階御櫓」と記されています。
現在出されている復元図は、なぜか古写真と絵図の折衷となっています。
三階櫓の東側に並ぶ二重櫓です。正面に軒唐破風を見せ、格子出窓を設けます。
模型では正面のみとしましたが、上の古写真もよく見ると確かに側面まであるようにも見えます。立地場所の不自然さと加え、移築を思わせます。
大棟の飾りは鯱ではなく鳥衾です。
【東多聞櫓】
本段東側の多聞櫓です。
南半分は重層、北半分は単層となります。
牙城郭実測図では北半分の単層の多聞櫓と並べて「御掃除方物置 御同所東平御多聞」と書かれています。
この多聞は内部が下男部屋を始め賄部屋など畳敷の居住空間となっています。
さらに穀物の精製所である舂屋(つきや)を接続しています。絵図を見ると舂屋の中には踏み臼があり、すぐ隣には米壺場が並ぶなど、生活感の溢れる空間となっています。
さらに穀物の精製所である舂屋(つきや)を接続しています。絵図を見ると舂屋の中には踏み臼があり、すぐ隣には米壺場が並ぶなど、生活感の溢れる空間となっています。
六十一雁木上門ともいう高麗門です。
牙城郭実測図を見てみると「御台所脇要害御門」として記録されています。
この平面図をみると、階段を表すかのような線が引かれているため、控え柱が六十一雁木側に立っているように見えますが、次の六十一雁木下門の描写をみると、控え柱は本段内部に立っていたことが分かります。
【六十一雁木下門】
切妻、真壁の櫓門です。
牙城郭実測図から建具の様子まで分かりますので、一応それも再現しています。
大棟には鯱も鳥衾ものせません。次回は本段御殿などです。