更新が滞っていました。
曲輪の造成に入っています。
まずイラストレーターで作成していた原寸データを出力しました。
本体サイズは95センチ×110センチです。A4の紙で20枚になります。このサイズになると工房から出せません。
このあと台を製作して板を張り、標高データをもとにスタイロフォームで曲輪を造成しました。
現在、そこに発掘調査のデータを重ねていっています。
より正確な地形が作成できそうです。
内下馬門の枡形です。
そうそう、天守も塗装を進めています。塗装はまとめて記事にします。
このところ更新が滞っていたのは、とある雑誌の作例が入っていたのでした。
これは最終的に締め切りギリギリになり、郵便局の窓口にあとちょっとのところで間に合わず、編集部持ち込みに。日帰りで東京。
そのちょっと前は熊本城へ取材に。この日は調査研究センターへの用事もあり、その場へ福山城研究家さんをお連れしていました。
ちょうどその直前には雨で元太鼓櫓が倒壊したというニュースが流れていました。これがその元太鼓櫓の様子です。
この次の日は福岡城を案内しました。
おそらく20年ぶりくらいかもしれない…
改めて今見るとなんと立派な天守台。12間×11間と豊臣大坂城の天守と同じ規模!です。
これはフェイクの入り口。この先は小さな天守曲輪のような枡形閉鎖空間に至りますが、天守への入り口はありません。もう1つの埋み門を抜けたら天守へ至るか!と思いきや、天守の反対側へ出るだけです。しかもそちら側からは天守へ入れないという…
天守の入り口は中天守(!)台と小天守台の間にあります。
天守の穴蔵です。礎石がきれいに並んでいます。
初めから建てなかったのか、文書にあるように崩して徳川大坂城の部材に提供したのか…
現存の多聞櫓。切妻の多用と頬杖の感じは広島城にも通じますが、個人的には肥前名護屋城の影響だと思っています。