【熊本城明治期模型】あと4日のところで万事休す | 城郭模型製作工房

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城郭模型作家・島 充のブログです。日本の城郭および古建築の模型やジオラマの製作過程を公開しています。

ホビーショーまであと4日となり、じゃんじゃん進めていたところで…

丸瓦の半円プラ棒が切れる。万事休す。
25袋を使いきりました。
材料が切れた段階の状態。
小天守の裏側は手付かず。

空白を計算したら、プラ材の総延長11メートルが足りないことが発覚。
全国のヨドバシカメラのエバーグリーンは既に私が買い占めて品切れ。すみません。

万事休してもいられないので、大至急手配してやれるところをガンガン進めています。

今回は小天守の入り口部分について考察というか半ば想像を。

昔から小天守の入り口部分がなんだか間延びしているように感じていました。

古図を見てみると、小天守の入り口「御門」の直上には、全面格子窓の中二階があったことがわかります。

小天守一階の床ラインを外観に引いてみると、ちょうど中二階を設けるだけのスペースがあることが分かります。

ここに格子窓があったとするとこんな感じか?
合成画像をつくってみました。

これを見て思い出すのが、熊本城内にあった櫓門の姿です。
古写真のはじっこに写り込んでいる耕作櫓御門。
門の上の櫓部分が二階建てで、門を一階と数えると3階建てになっています。屋根も三層になっている。

熊本城内には、同じような三階建の櫓門が少なくとも6棟ありました。
すなわち、耕作櫓御門、地蔵櫓御門、二階御門、数寄屋丸御門、札櫓御門、元札櫓御門です。

天守級の五階櫓が5棟(当初は6棟)あったことと並び、このような三階建ての櫓門が6棟あったということも、熊本城の大きな特色であったと思っています。

それが小天守の「御門」とどう繋がるかというと、ここも庇が二層重なっていたのでは、という想像です。

古写真をよく見てみると…
庇が二層あるように見えてくるから不思議。

模型ではこの想像を加味してみることにしました。
一階の床の根太をそのまま出桁にして庇を作ってみると、その下に充分な高さができました。

暗いけどこんな感じ。中二階の格子窓はもう一段低くても大丈夫でした。
御門の形状は、古図の通りに左側にくぐり戸を設けました。

ちなみに、現行小天守での中二階の格子窓は、御門の上部に形だけ再現してあります。

次回は造形が完了した白模型の状態でお見せしたいと思います。