【明治期熊本城】大天守終わり空中雪隠周辺の謎 | 城郭模型製作工房

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城郭模型作家・島 充のブログです。日本の城郭および古建築の模型やジオラマの製作過程を公開しています。

明治期の熊本城の古写真を模型に起こしています。

大天守の造形がほぼ完了しました。

腰屋根の瓦や軒の隅の部分、懸魚の六葉、鳥衾などなど細かい部分と隙間処理などが残っています。

突き上げ戸は本体塗装後に取り付けです。

昨日にかけて格子地獄と破風地獄でした。

大天守はここで一区切りとして、小天守側へ製作を進めます。

まず小天守との接続部分。

ここは有名な石垣から張り出した空中雪隠がある場所です。

天守の東側の特に下層部は古写真がありません。というのも、周りの建物に隠れているからです。

昭和のコンクリート天守を復元設計された藤岡通夫先生も、この空中雪隠周辺の復元には苦心されたことが著書から伺えます。

今回、模型にするにあたって、自分で改めて古写真を見てみると、現在のコンクリート天守とは違う部分をいくつか発見しました。

まず、空中雪隠の屋根の流れの向きです。
この古写真をご覧ください。

空中雪隠のところを赤丸で囲みました。
これを乱暴ですか描き起こしたものがこちら。

軒下は板張りか影か、黒くなっています。コントラストが大きいので、彦根城のような雨除けの板張りになっていたのでは?と私は思います。


次に別アングル、真北からの古写真です。これはネット上で公開されている平左衛門丸塀復元事業の概要をまとめたpdfファイルの中の古写真です。
黄色で囲んだのが空中雪隠。

これも描き起こすとこのように。

つまり、空中雪隠の屋根の流れは、現在の屋根と90度向きが違うことが分かります。



さらに2枚目の古写真をよく見てみると、大天守の下の影が、空中雪隠部分で切れていることが分かります。途切れたところがモヤモヤっとなっていて判然としないのが残念です。
本当に浮いていたのでしょうか?


さらに古写真をよく見ると、昭和の再建では復元されていない窓が2つあることが分かります。
窓に関しては細かいことをいうと、焼失前の窓は、昭和再建時の窓より位置が下見板一枚分くらい下にあります。

古写真を読み取った結果をまとめたのがこちら。


これを模型に反映します。
壁面を貼り込んでいきます。

空中雪隠部分。

空中雪隠の屋根まで取り付けたところ。

古写真の読み込みから分かった内容を形にした部分をまとめたのがこちら。


空中雪隠が本当に浮いていたかどうか…これは謎です。

現在の天守を見てみると、建物と石垣が一致していなかったり、古写真にある窓を設けるスペースがなかったり、この辺りは焼失前とかなり寸法が違っている可能性があります。

石垣の積み直しがあったのかも??