大天守の造形がほぼ完了しました。
大天守はここで一区切りとして、小天守側へ製作を進めます。
まず小天守との接続部分。
ここは有名な石垣から張り出した空中雪隠がある場所です。
昭和のコンクリート天守を復元設計された藤岡通夫先生も、この空中雪隠周辺の復元には苦心されたことが著書から伺えます。
今回、模型にするにあたって、自分で改めて古写真を見てみると、現在のコンクリート天守とは違う部分をいくつか発見しました。
まず、空中雪隠の屋根の流れの向きです。
この古写真をご覧ください。
これを乱暴ですか描き起こしたものがこちら。
次に別アングル、真北からの古写真です。これはネット上で公開されている平左衛門丸塀復元事業の概要をまとめたpdfファイルの中の古写真です。
黄色で囲んだのが空中雪隠。
さらに2枚目の古写真をよく見てみると、大天守の下の影が、空中雪隠部分で切れていることが分かります。途切れたところがモヤモヤっとなっていて判然としないのが残念です。
本当に浮いていたのでしょうか?
窓に関しては細かいことをいうと、焼失前の窓は、昭和再建時の窓より位置が下見板一枚分くらい下にあります。
これを模型に反映します。
壁面を貼り込んでいきます。
現在の天守を見てみると、建物と石垣が一致していなかったり、古写真にある窓を設けるスペースがなかったり、この辺りは焼失前とかなり寸法が違っている可能性があります。