一点目は、かんさんが発見されて、コメント欄より教えて下さいました。私も見たときは興奮で身震いしてしまいました。
それが、こちら。
しかもこの写真はステレオ写真(立体写真)で、レンズを通すと3Dで飛び出して見えます。
一見、後楽園越しかと思いましたがよくよく見ると建物が二段になっています。
そして上の段の建物構成が本段御殿にそっくりです。
そして遠くに山も写っている。
これは今日の相生橋からの眺めですが同じように山があります。南からの眺めに間違いなさそうです。
御依頼主とラインでやり取りしながら様々に検証していましたら…岡山尋常中学の建物かもしれないという結論に達し…
しかしながら先ほどの写真の本段の入母屋に見える屋根には反りがあるようにも見え、御殿の遺構か…?とまだ望みは捨てていません、と言いつつ、御殿は完全に撤去されたのが先ほどの写真で明らかですので、学校の建物との並存は無いということで、これはフライングと認めましょう。
私も手持ちのレンズを通して見てみたら見事に飛び出しました。
かんさんはアメリカの画像検索で発見されたそうで、画像共有サイトFlickrに沖縄在住のアメリカの方がアップされているようです。
お土産品だったのかもしれませんね。
撮影時期は岡山城内での博覧会(明治12年)のあと、城内の櫓と御殿の撤去が完了した明治15年から中学校のできる明治29年までの間でしょう。
貴重な写真です。
海外にはまだ未知の古写真が眠っているかもしれません。
そしてもう一点、模型の御依頼主が日文研の古写真データベースからこのような古写真を見つけられました。
そして上の段の建物構成が本段御殿にそっくりです。
そして遠くに山も写っている。
しかしながら先ほどの写真の本段の入母屋に見える屋根には反りがあるようにも見え、御殿の遺構か…?とまだ望みは捨てていません、と言いつつ、御殿は完全に撤去されたのが先ほどの写真で明らかですので、学校の建物との並存は無いということで、これはフライングと認めましょう。
しかし、新たな古写真の発見というのはこんなにも感動することなのですね。
驚いてばかりで幸せだなあと思います。
さて、模型製作の方は本段御殿に進んでいます。
本段御殿は城主の居住空間で、その性格上、何度も増改築が繰り返されたようで、図面も様々です。
その中でも今回はこちらの本段絵図をもとにすることにしました。
樹木まで書き込まれています。
赤い線が6尺5寸の300分の1、つまり6.5mmです。