南北二区画に分かれていて、それぞれに出入口があります。
これで舂屋区画の建物が揃いましたが、天守と並べてみると、スケール計算を間違っていたのかと一瞬ちょっと不安になるくらい天守が小さい。
天守は小振り、舂屋の建物は規模が大きいということでこうなるのです。
大雑把に高低差と距離をつけて並べてみると、古写真のような眺めが出ました。
出版されている書籍の古写真だと、手前部分が切り取られてパノラマ写真のような状態で掲載されています。
何か意図的なものがあるのでしょうか??
何度でも言いますが、この櫓は本丸の宍粟櫓と旗櫓ではなく、二ノ丸の池田主税屋敷内櫓と伊木長門屋敷内櫓です。
さらに、かんさんからコメントをいただきました。なんでも、最初に古写真が発見された時の新聞記事をメモしておられたそうです。
この旗櫓と解説される古写真ですが、
【新聞記事の要約】
昭和56年12月12日山陽新聞
池田家文庫から蓬郷巌(ほうごういわお)氏が写真の原板を発見。200枚のうち5枚が岡山城。筆頭家老伊木長門屋敷内櫓、対面所、桜門なども明らかになった。
その後どういう経過をたどって、この櫓が旗櫓とされてしまったのか。謎はつきません。
声を大にして言います。
この櫓は本丸の旗櫓ではなく、二ノ丸の伊木長門屋敷内櫓です。