岡山城本丸舂屋区画の建物揃う と 古写真続報 | 城郭模型製作工房

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城郭模型作家・島 充のブログです。日本の城郭および古建築の模型やジオラマの製作過程を公開しています。

製作を進めています、岡山城本丸、下の段南方の舂屋区域の建物が揃いました。

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この区画の最後の建物は土蔵。
南北二区画に分かれていて、それぞれに出入口があります。
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古写真ではここに屋根が覗いています。
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屋根は切妻か寄棟か判然としませんが、切妻の土蔵として造形しました。
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これで舂屋区画の建物が揃いましたが、天守と並べてみると、スケール計算を間違っていたのかと一瞬ちょっと不安になるくらい天守が小さい。
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天守は小振り、舂屋の建物は規模が大きいということでこうなるのです。

大雑把に高低差と距離をつけて並べてみると、古写真のような眺めが出ました。
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さて、このところ気になっている例の古写真ですが、ネット上にこのような写真が落ちていることをご依頼主が発見されました。
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なんと!もとはパノラマではなく手前に人や芦が写っています。完全に内堀ではありません。旭川です。
出版されている書籍の古写真だと、手前部分が切り取られてパノラマ写真のような状態で掲載されています。
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そして解説には「内堀南から天守遠望」となっていて、櫓は宍粟櫓と旗櫓とされているのです。
何か意図的なものがあるのでしょうか??

何度でも言いますが、この櫓は本丸の宍粟櫓と旗櫓ではなく、二ノ丸の池田主税屋敷内櫓と伊木長門屋敷内櫓です。

さらに、かんさんからコメントをいただきました。なんでも、最初に古写真が発見された時の新聞記事をメモしておられたそうです。
この旗櫓と解説される古写真ですが、
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【新聞記事の要約】

昭和56年12月12日山陽新聞

池田家文庫から蓬郷巌(ほうごういわお)氏が写真の原板を発見。200枚のうち5枚が岡山城。筆頭家老伊木長門屋敷内櫓、対面所、桜門なども明らかになった。

とあり、なんと発見された時は伊木長門屋敷内櫓と断定されていたそうです。
その後どういう経過をたどって、この櫓が旗櫓とされてしまったのか。謎はつきません。


声を大にして言います。
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この櫓は本丸の旗櫓ではなく、二ノ丸の伊木長門屋敷内櫓です。