復刻版『本瓦葺の技術』です。
瓦葺きの名人と言われる井上新太郎さんが、本瓦葺の秘伝をあますところなく書かれた本で、内容はあとでちょっとご紹介しますが、本瓦葺の具体的な工法以外に、パラパラとめくっただけで、雷に打たれるような言葉が次々に飛び出してきます。
伝統技術に携わる人の言葉の鋭さに鳥肌が立ってしまい、はるか雲の下にいるような私の戒めのためにも、模型づくりにも通ずる言葉を保存版として書き抜いてみます。
だれでも現在の仕事が最高に見えるもので、下手な仕事はだれでもわかるが、自分よりすぐれた人の仕事は自分と同じに見える。それゆえ真の技術を見分けることはなかなか難しい。
己の仕事はよく見えるということです。本当に自分のレベルを自分で判断するのは難しい。また、どうしても他人を低く見てしまうから、他人の技術を判断するのも難しい。その結果いつまでもうぬぼれの世界から抜け出せず、真の上手にはなれないのです。
本当の技術は一流の人にしか見分けられない、という言葉もでてくるのですが、模型の世界でいうと、金子先生とか、アラーキーさんとか、一流の人は作品を見ただけで、全部見透かされてしまうのです。自分はまだまだこんなの誰にもできないだろう、なんて思いが無いといえば嘘になるので、なかなか人の技術を見抜けません。本当に恥ずかしいです。
仕事というものは、簡単なものほどやさしいと思われているのが一般通念のようだが、複雑で難しいと思われている仕事はある程度習練を積めばほとんどの人はできるが、簡単に見えてできない仕事があり、生涯できずに終わる人も案外簡単な仕事の場合に多い。
簡単な部分は甘く見て気を抜いてしまうことがあります。いつも手を抜いているから死ぬまでできるようにならない…
模型で簡単に見える仕事…
緑地のパウダー
白壁の塗装
パーツのランナーからの切り出し
プラ板をまっすぐに切る
山肌のスポンジだけで表現する樹木
上げたらきりが無い
難しいと思うことはやさしいが、やさしいと思うことがなかなか出来ないのがこの道ではなかろうか。
前の言葉と同じような内容です。そのやさしいとあなどっているところが実は一番大切なところなのです。
ここからは私の考えです。あまり言うと自分に跳ね返ってくるのですが…本当に恐ろしいのは、「できていないのに自分ではできていると思い込んでいること」だと思います。
自分を棚に上げて偉そうなこと言っちゃうと、ヤフオクに出していた頃、やはり他の人の出品物を見るわけです。すると「ドライブラシで仕上げて」なんて書いてある。でもそれが私が小さい頃模型誌で見たドライブラシと全然違っているわけです。まだ「ハイライト表現を加えて」くらいなら分かるのですけれど、かすれ塗装みたいなのにもドライブラシをしてなんて書いてある。でも本当に怖いのは、もし自分がやっているのがドライブラシで、しかもそれを自分でできていると思い込んでいた場合、やっぱり生涯、繊細なドライブラシの境地にはたどり着かないのです。さらにそれを見た人が、ああ、これがドライブラシなんだ、と思われると困ったことです。
だから自分の技術がどこまで達しているかを的確に知ることが大事なのですが、自我意識があるからなかなかこれが出来ない。やっぱり自分の成長を止めているのは自分自身なのだなあ、と改めて井上さんの言葉から考えさせられました。
人の真似をしていれば人並みのことしかできないが、工夫することによって技術も向上していくのである。
はじめは人まねから始まります。でもそこに自分の工夫を入れることの大切さ…
早く仕上げ、すぐれたことをして初めて上手と言われる。
これはなかなか両立しないです。すごい言葉です。
模型には模型としての格好があり、実物には実物としての形がある。それを同じにして合理的なものができるとは思われない。
海龍王寺の五重小塔への言及の部分です。1分の1の世界で建物をつくっておられる方の模型を見る目を知ることができました。
仕上がった屋根を見て立派にできた、上手に葺けたと言っているのをよく聞くが、うわべだけのことで、仕上がるまでの仕事がいちばん大切なことである。
完成したものを見て、自分でもいいものができたと思います。でもその結果のうわべで満足していては仕事がだんだんおろそかになるよ、という戒めだと思いました。
いかに技術が卓越していても、誠意に欠けている人は、見えないところまで十分なことはしないものである。
その人の内面が作ったものにはそのまま現れるよ、ということだと思いました。心します。
本の内容は…あまりにも専門的で、まさに秘伝書。瓦葺きを実際にやられる方にはバイブルだと頷けます。
模型作りの現場と、本物をつくる現場の次元の違いをまざまざと見せられました。瓦の幅が、とか言ってたのが本当に恥ずかしくなります。現場ではミリ単位で少しずつ間隔を変えたりされていることが分かりました。あまりに打ちのめされる内容ですが、「模型には模型としての格好がある」という一言で道を開いてもらって、それが救いです。