大崎八幡宮と豊国神社 | 城郭模型製作工房

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城郭模型作家・島 充のブログです。日本の城郭および古建築の模型やジオラマの製作過程を公開しています。

北海道の帰りに仙台に立ち寄りました。
ただし、仙台での時間は1時間ちょっとしかなく、どうしても本物を見たかった大崎八幡宮だけに目的を絞り、タクシーを飛ばしました。駐車場で待ってもらって大崎八幡宮の滞在時間はわずかに5分。束の間の仙台でした。瑞巌寺も行きたかった…

国宝 大崎八幡宮
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「花洛といえども、なしや、ありや」
(京の都にもあるだろうか)
といわれた社殿は慶長9年から12年にかけて造営されました。
豊臣家お抱えの大工、梅村彦左衛門家次らを招いて建てられた桃山期の貴重な遺構です。

梅村彦左衛門は大崎八幡宮の他、瑞巌寺と仙台城本丸をつくりました。

正面千鳥破風には飛鶴の彫り物。黒漆に金の意匠はいかにも豊臣の時代の好みを表しているかのよう。夏の陣図屏風に描かれる豊臣大坂城天守最上階の鷺も、あるいはこのような厚板の彫刻であったろうか、と想像は尽きません。
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予想していた以上に柱は細く、大変軽やかですっきりした印象を受けました。
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垂木は丹塗り、斗栱は繧繝彩色。金具、彫物、彩色と豪華絢爛な仕上げにもかかわらず嫌味さが全く感じられず高度に洗練されています。
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本殿と拝殿を石の間でつなぐ「石の間造り」です。これは後に徳川家の霊廟建築に取り入れられ「権現造り」と呼ばれるようになります。大崎八幡宮は日光東照宮に先行する石の間造りの唯一の遺構となっています。
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そして最奥部、本殿の内陣は驚くべきことに
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胡粉塗りに墨絵の世界。
華麗な外観に比してなんと静寂な空間。


大崎八幡宮に拘るのは、秀吉を祀った東山や大坂城内の豊国神社の姿をかなり残しているのではないかとの思いがあるからです。

以前つくった夏の陣の時点での大坂城内。
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山里に豊国廟があります。冬の陣の前の年慶長18年に、山里曲輪を切り開いて建てられました。

この時に参考にしたのがまさに大崎八幡宮でした。
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大崎八幡宮の図面をもとに大まかに立体化しました。
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その時の簡単な考察はこちら

本家本元の、京都東山にあった豊国神社と似ていたはず、という推測からでした。この時の考察では、東山の豊国神社の確たる資料は無いと思っていたのですが、灯台もと暗し。手元にあった本に収録されていました。そんなことも知らんかったのか、と思われた方も多かったのかもしれません。お恥ずかしい。

それがこちら。
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これは『匠明』の社記集の中の「五間四面大社ノ図」なのですが、なんと
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この図は東山の豊国神社。と書いてあるのです。平内吉政これを作る。ともあります。
平内吉政は匠明の著者。『匠明』は平内吉政、政信の親子が書きました。

これは東山の豊国神社の図で、親父の吉政が作ったんだぜ!と書いてある。

ただ、伊藤要太郎氏の論考ではそのことに否定的です。その理由は…

●豊国祭礼図屏風を見てみると拝殿と石の間と本殿の繋がりは「エ」の形になっている。
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●豊国神社が放置されて荒れ果てたのを70年以上経って修理した時の下調べに測った寸法を記録した文書があるが、同じく建物の繋がりが「エ」の形になっていることをうかがわせる。
●しかるに『匠明』のこの図は拝殿と石の間と本殿の形は「⊥」の形になっている。
●だから信憑性は低い。

ということだそうです。

でも工事に携わった本人が、これは豊国神社の図でオレが作ったんだぜ、と書いている。信じてもいい気がするんだけどなあ。

ちなみに大崎八幡宮の平面図はこちら
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匠明の豊国神社には内内陣があるため本殿の奥行きが4間になっているのに対しこちらは奥行き3間になっているなど違いはあれど建物規模など大変よく似ています。

ちなみに東山の豊国神社の本殿を移したと言われる建物が国宝として現存しています。
竹生島の都久夫須麻神社の本殿です。
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昨年訪ねた時の写真。
中は撮影できなかったのですがすごい彫物でした。
この本殿の規模が5間×4間で確かに『匠明』の図の本殿と同じ規模です。平面図が手元にないのでこれ以上の情報はありません。

まとめると

慶長3〜4年  東山豊国神社
(本殿は国宝都久夫須麻神社本殿に移築現存?)

慶長9〜12年  仙台大崎八幡宮(国宝現存)

慶長18年  大坂城内山里豊国神社


遺構とすれば大崎八幡宮と竹生島の都久夫須麻神社本殿、図とすれば『匠明』の五間四面大社ノ図。このあたりから京都東山の豊国神社、そして大坂城山里の豊国神社の姿を彷彿と窺うことができるのではないでしょうか。
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明日は姫路周辺に立ち寄り福岡へ帰ります。