御裏五階櫓、えらいこっちゃ。 | 城郭模型製作工房

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城郭模型作家・島 充のブログです。日本の城郭および古建築の模型やジオラマの製作過程を公開しています。

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これは本物。

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これは模型。

飯田丸五階櫓ですが、熊本城には明治初期の段階で五棟の〝五階櫓〟が存在していました。
私は全ての五階櫓を100分の1スケールで模型化したいという構想を持っています。宇土櫓(平左衛門丸五階櫓)とこの飯田丸五階櫓の2つが実現しましたので、残り3つ。

ご注文の製作を続けながらも、年内には1つは自分の作品を作りたいと思っており、少しずつ動き始めています。図面があったこの2棟と違い、残る3棟は古写真と北野先生の復元図しかありません。100分の1で作る前に、まず150分の1で製作しようとしているのがこれ。
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以前童友社のプラモデルでやりました、古写真版。
それを150分の1でさらに精密に再現しよう!という計画です。ちまちま進めて年内に完成させたい。


この古写真の左端、小天守の奥に御裏五階櫓がチラッと写っています。
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天守とこの御裏五階櫓までの範囲を150分の1で再現して、この写真と全く同じ景色をつくる、という構想です。

【以下の記述の中には私に誤りがある部分があります。二重目と三重目の逓減は北野先生の復元図の通り0.75間です。お詫びして訂正いたします。尚、詳しい考察は2017年6月12日以降の記事にあり、そちらの内容でこの記事の誤りに対する詳細説明とさせていただきます。すみませんでした(2017年6月12日追記)】

御裏五階櫓は、熊本城研究の第一人者、北野隆先生が復元図を引いておられます。上の写真と同じ面の立面図。
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復元図として世に出ているのはこの西面立面図のみです。

ところが、古写真とよくよく付き合わせてみると、おやっと思うことがたくさん出てきました。
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赤丸部分。下の多聞櫓に繋がる階段室の屋根、古写真だと破風板と懸魚、その六葉が写っており、入母屋のようですが、復元図では寄棟になっています。

黄色丸部分、隅棟からはみ出した下見板は、古写真では2列→数字①②(半間)ですが、復元図では1列→数字①(1/4間)です。

黄緑の縦ライン、古写真だと二重目と三重目は半間幅で上層が小さくなっているように見えますが、復元図では0.75間、つまり半間+1/4間の逓減になっています。

北野先生の復元では二重目を南側(向かって右側)に片寄って重ねてあります。そのせいか千鳥破風の奥行きが深くなり、丸瓦が10列になっています。古写真だと7列です。

二重目と三重目を半間で逓減させ、一重目の真ん中に上層を重ねると、古写真の通りに納まることが分かりました。

大きめの画像ものせておきます。興味のある方はご自分でも建物の納まりを考えてみてください。
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これは嫌な予感がする…

古写真をもとに一から復元図面を引かねばならないようです。

北面も問題あり。
上から古写真、北野先生の復元図、御城内絵図。
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北野先生!窓の位置が違いますよ!
御城内絵図は古写真とほぼ同じです。

ちなみに、熊本城は文化財建物と復元建物以外の部分は実測がなされていないようで、江戸時代の実測図である「御城内絵図」が根本資料になっているようです。

御裏五階櫓の悩ましいところは他にもあり、櫓の下の多聞櫓への繋がり部分。
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このあたりの石垣はは地震で崩落してしまいましたが…上の赤いところが御裏五階櫓。下の黄色い多聞櫓へ斜め下に階段で繋がっていたのです。
大変アクロバティックな繋がりをしていたようです。

御城内絵図の該当部分。
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この通りに建物を作ると
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どうやっても階段室の右側(南側)が宙に浮いてしまうのです。
一体どうなってたのか…昔から疑問でした。
北野先生の図面でもこの部分は空白です。
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そして!!

これもしかすると大発見かもしれません。

ちょうど宙に浮いた隅の真下あたりに何か構造物の土台のようなものがあり、その上方の石垣にほぞ孔!のような整形の穴があります!(その少し上にも角材の痕跡のような影が)
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懸造りか??

どうやっても階段室の下は何もなく、宙に浮いた構造としか考えられませんから、もしかすると下から支えがあったのかもしれませんね。

この部分は深い谷なので当然写真にも写っておらず。
しかも写真をよく見ると櫓自体も張り出しているかのように見えてきます。
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北側から見た階段室の部分。三重構造です。
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初層が台形なので、デザインは単純でも複雑極まりない屋根の納まりです。
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北野先生に直接お会いしに行ってご指導を仰がねばならない気がしています。

とりあえず今日から、四面復元立面図を作成すべく、ご注文の製作のあとに時間を取って、ラフ図面を引いてみました。ちゃんとした図面にできるまでかなり時間がかかりそうです。
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