追記 研究者との立ち話から【新発見だった!】 | 城郭模型製作工房

城郭模型製作工房

城郭模型作家・島 充のブログです。日本の城郭および古建築の模型やジオラマの製作過程を公開しています。

熊本城模型の記事は終わりにするつもりでしたが、ひとつこぼれ話を。

この度の展覧会では、開会式にも立ち会わせていただき、新しい出会いがありました。その中でも、今若き女性研究者として注目されている、熊本城調査研究センターの木下泰葉さんとの立ち話は貴重でした。

私は恥ずかしながら木下さんのことは存じ上げなかったのですが、お世話になったNHKプロモーションの方が、この方は熊本城のことはめちゃくちゃ詳しくて、模型もお好きですよ、とご紹介下さり、お話しする機会をいただきました。

8階の展覧会場から、わざわざ一階ホールまで下りてきて下さり、拙作をじっくり見て下さり「これ、ほしい」と呟かれたのが、製作者にとってはこの上ない賛辞でした…


竹ノ丸の続塀の資料がなく製作に困ったこと。防蟻処理の業者さんのサイト画像からやっと作れたこと。そしてその瓦が特殊で驚いたこと。
{99684D35-1487-4755-BE0B-BC423CAA65F8}


「ああ、板瓦ですね」

あの瓦は板瓦というそうです。あとで調べましたが「目板瓦」とも。
{4A4702E2-9C9B-4291-BAEF-94895917C9E5}
やはり人に会わなければならない!百冊の本を探すより、ネットの海を何時間も彷徨うより、その道の人に聞くことの明快さ!

今回の模型製作でも、分からないことがあると、すぐに熊本城に電話でした。竹ノ丸の土塀の城内側の地形も情報がなく、困った末に電話。調査研究センターの方に聞くと

「あそこは低い土留めの石垣があって盛り土になっています」

一言で解決。


もうひとつの疑問も聞いてみます。
{7FA588A8-B7AF-49BF-84A9-F1C0CC9FDEC1}
「この、現在は付櫓状になってしまっている入口部分の二重目は、唐破風だというのはなぜ分かったのですか?ここが写っている古写真はありませんよね…」

「そこは本丸御殿から廊下で繋がる正式な入口でしたから、格の高い唐破風だということが推定できます。唐破風の表示の図面もあったんじゃないかな…」

なるほど。疑問が氷解するとはこのこと。

前々から疑問だったことをさらにぶつける。
「北野先生の復元されている天守の各階平面は、資料があるのですか?」

「天守に関しては各階平面が残ってるんですよ。」

そうだったのか…!原図を見てみたい…

そしてここで、私の発見をおそるおそる伝えたのでした。

以前熊本城古写真版のブログ記事に書いた、小天守最上階の床の間の件です。

「この部分、床の間があれば壁ですよね」
{8B843541-ED9B-4A34-A5D8-122731D549CE:01}

「でもこの古写真を見て下さい。抜けてますよ」
{B0A30703-9CFE-4775-808D-95133152F5E3:01}
(赤い矢印が図面と同一の柱)
「うわっ!本当だ!」

「これは新発見ですか?」

「新発見だと思います。」

このブログから、新しい発見が生まれていたのでした!


天守の内部の話から「天守内部を再現した模型も作れますか?」と聞かれ、不意を突かれた私は

「内部まで再現したプラモデルがあって…あ、でも自分でもやろうと思えば…一から…時間がかかるけど…」

といううやむやな返事をしてしまい、高島屋さんからお話を頂いた時のように

「できます。」

と言わなかったことを悔やみました。

以上、こぼれ話でした。