前々回より日を追って製作を振り返っていますが、完成した模型を目の前にすると、何か奇跡が起こって、この模型が地の底から湧いて出たかのような不思議な感覚に陥ります。
文字通り、瓦の一本一本、部材の一つ一つを通して、熊本城と対峙した2ヶ月でした。
間違いなく自分がつくったものだけれど、完成した模型を見ると、宇土櫓と飯田丸五階櫓が、おのずから模型となって現れてきた、そのように感じられるのです。
怒涛の製作記(その3)
●3月19日
レーザーカットのパーツが到着した。
●3月21日朝の状態。
二段石垣の一段目、要人櫓台は断熱材を芯としているので、その部分と模型周りの化粧板囲いの作業、粘土による隅石や天端石の処理に丸1日を費やした。
この日は1日かけて石垣の描き起こしを行なっている。
このまま深夜にかけて石垣の塗装。
翌日。
屋根の目地漆喰は熊本城の特色であり、このスケールでやらないのは城郭模型とは言えない。面相筆で地道に描き込んでいく、気の遠くなる作業を延々と続ける。
目地漆喰描きがほぼ終わったところ。3月22日の21時12分の写真。
ここで飯田丸五階櫓がひと段落。
宇土櫓の建物芯材を組み立てて、次の日からの作業に備え就寝した。
ここから宇土櫓に製作の中心が動く。
23日1日をかけて深夜に及んだ製作の結果。
初重の壁が終わり屋根張り、二重目の白壁の貼り込みまで進んでいる。
●3月24日に撮影した写真は無い。一日中を製作に没頭していたようだ。
●3月25日23時ころの状態。
二重目屋根、破風内の壁まで出来ている。
簑甲部分を美しく仕上げるため、この部分は何枚もプラ材を重ねた複雑な構成になっている。
パッと見た時の完成度を左右する重要な部分なので、精度の高い調整には時間がかかった。
●3月27日午前2時の写真。26日から日をまたいでの製作である。
このあと
27日、28日の製作の後29日朝の宇土櫓。
これ、進んでいるのか…?
進んでいるのである。石落としは出来た、続櫓の屋根も貼れている。初重の丸瓦もだいぶ進んでいる。
まさにこの時、大きな山を登っている真っ只中であった。頂上が全く見えなかった。
なんせまだ作らねばならないものが多すぎる。
窓の数は35。全てに格子と窓枠、突き上げ戸を作らねばならない。
入り口が3箇所。
丸瓦の貼り付けも半分も終わっていない。
そして11ある破風の破風板、懸魚。簑甲部分のケラバ瓦…
棟瓦も…鳥衾も…
狭間の数は60近かったと思う。数えるのが恐ろしく、やめた。
先を考えると気を失うかと思った。
そう、宇土櫓は巨大だったのである。飯田丸五階櫓のおよそ1.5倍ほどだと思うが、感覚的には2倍以上あった。
プラ材が次々と無くなった。丸瓦の消費量は予想をはるかに凌いだ。垂木材も無くなった。
ここで一旦、精神的・肉体的限界を迎え、私は熊本城に向かった。
小雨に濡れながら、実物の宇土櫓の大きさに圧倒された。
しかしながら、宇土櫓の存在感は私を勇気づけた。倒壊した続櫓が、なんとかしてもとの姿に戻して欲しいと叫んでいるようであった。
この日、山奥の温泉で疲れを癒し、錆びついた心身を洗い流した。
納期まで
あと10日
[結婚式や娘の入園式があり、実質は残り8日。
ここでプレッシャーと焦りはピークに達していた。]