ほぼ完成しました。
ご依頼主様に最終確認をしていただいています。
塗装過程です。
まず白木の色で下塗り。朱塗りの赤にこだわるため、下地を考えないときれいに発色してくれません。
ベンガラ主体の色を想定しています。宮大工の西岡さんの本にもベンガラを塗ったと書いてありますので、落ち着いた古代の赤をイメージしてみました。
ポイントは黄土の使い方で、平等院鳳凰堂の修復で塗られた朱もベンガラに黄土を混ぜたものだそうです。
この色にも黄土が混ぜてあります。
塗ったところ。
塗装した白壁をはめ込み、屋根や連子窓の塗装も加えます。
尾垂木の先端と垂木の鼻には鍍金された金具が取り付けてありますので、塗装で表現しました。
卍崩しの高欄は、結果としてこのような省略表現となりました。
裳階の板屋根には墨が塗られたということで黒に。下地の木の色をほんの少し透けさせることで不自然にならないようにします。
法隆寺の基壇は二重基壇といって、これも他の寺院では見られない唯一のものです。また、その基壇に、マンガン土という真っ黒な土を塗っていたというのも他に類例がありません。このマンガン土の彩色は、現在も一部残っていますので、法隆寺に行かれた時は探してみて下さい。
調整は数ミリ単位の微妙なものでしたので、ぱっと見そんなに変わらないように見えるかもしれませんけれど、かなり印象が変わっています。
各層の屋根の重なりの幅が広くなり、全体が細く見えるようになりました。五重目は野小屋を作って軒を二重にしたので、それまでは軒に入り込んで見えなかった斗栱が見えるようになっています。初重と裳階の高さが低くなり、スッキリしました。軒の隅も反り上がっているように見せています。
各層の屋根の重なりの幅が広くなり、全体が細く見えるようになりました。五重目は野小屋を作って軒を二重にしたので、それまでは軒に入り込んで見えなかった斗栱が見えるようになっています。初重と裳階の高さが低くなり、スッキリしました。軒の隅も反り上がっているように見せています。
全体が寸詰りに潰れて、誤差を初重部分で全部補っていたものを、実物に近い比例に分散させました。
次回は完成です。
広島城は屋根瓦をちまちま塗装しています。