大阪城天守閣②屋根の塗装 と妻の安土城 | 城郭模型製作工房

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城郭模型作家・島 充のブログです。日本の城郭および古建築の模型やジオラマの製作過程を公開しています。

近代建築の傑作の一つ、大阪城天守閣です。
製作記事の前にこの天守閣について。

昭和天皇即位の大典記念に、天守の復興を思い立ったのは当時の市長、関一。大阪の父と呼ばれる、歴史に残る市長です。地下鉄や大阪港の建設、御堂筋の拡幅など、様々な事業を展開し、大阪の人口が東京を上回った「大大阪(だいおおさか)時代」の一つの到達点を成します。

その功績の一つがこの大阪城天守閣の復興です。当時軍の施設だった大阪城の本丸を公園として整備し、市民に広く公開するという計画を打ち出しました。当然軍からは難色を示され、恐慌であった当時、市民からも無用の声も上がりましたが、復興のための募金が始まると、わずか半年で目標額が寄せられるという市民の興奮の渦が巻き起こりました。
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完成直後の大阪城天守閣

本丸には師団の司令部がありましたが、軍の必要に応じて市民の立ち入りを禁止できること、新しい庁舎を建設して軍に寄付することを条件に建設が許可されました。
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(公園として整備された本丸の平面図。周囲は軍用地のため真っ白になっている)

昭和6年当時、大阪城全域の石垣は、豊臣期のままであると信じられていました。当然天守台も、豊臣秀吉築造の天守台だとされていました。学術調査で地下に石垣が発見されるのが昭和34年、中井家本丸図の発見が翌35年のことです。

徳川期の天守台に豊臣期を模した天守が建っていることへの反発がありますが、当時としては自然な成り行きだったのです。

実際に天守を復興するという段階になり、設計に大きな問題が立ちはだかります。まず、根本資料が大坂夏の陣図屏風のみであること。それと、当時城郭は学術研究の対象ではなく、研究がほとんど行われていなかったので、復元設計を行える者がいなかったということです。
そこで、桃山建築に造詣の深い古川重春氏が設計係に迎えられます。氏は文献資料を集め、各地の城を調べまわり、設計図を何度も書き直して相当な苦心をしました。
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しかもこの復興天守は、それまで例のない鉄筋コンクリートによる建設の城郭建築です。重心を中心に集め、周囲の石垣に直接荷重がかからないように設計され、これは戦後の復興ブームの際の手本となりました。

(参考文献 『日本名城集成 大坂城』、『大坂城』図版も前掲書より)


夏の陣図屏風しか資料が無かったため、破風構成は屏風絵がもとになっていますが、屋根は銅瓦ぶき、壁は塗籠の白壁となっています。下見板を思わせる部分が、白壁の下部に装飾のように配されてはいますが…
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当初黒い天守としての計画もあったといいますが、なぜこのような姿となったのでしょうか。

夏の陣図屏風を白黒の図版でしか見ていなかったからという説、市長が白くしろと言った説…私もいくつか聞いたことがありますが、お城談義の中でなるほどと思った説があります。

昭和6年当時、名古屋城が国宝の日本最大の木造天守として現存していたという…

対抗意識が動いたのかもしれません。


では製作です。

銅瓦の緑青の色合いが大変難しいです。
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明度と彩度を揺らしながら、重ね塗りをしていきます。前の段階から一度暗くしました。
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実物はとても鮮やかな緑青で、この色合いが難しいです。様々な写真や記憶のイメージから苦心してこの色にたどり着きました。
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だいぶ近い色になってきました。
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窓が透けるので、中に床と箱組みを入れて黒く塗装し、闇をつくります。
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中の箱組みが無い場合との比較です。
初重は箱組み無し。反対側が透けていますね。
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全ての階で窓が透けないようにしました。


もう少し屋根は塗装を加えます。
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ところで、私の監修および製作指導で、妻が作っている安土城です。

内藤案をもとにした童友社のキットは製作上の課題が多く、まずはこの復元模型の色彩を再現することを目標に定めました。
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課題は
白壁と下見板の塗り分け、屋根の色合い(復元模型は黒すぎるが、不自然にならない範囲で黒めの瓦屋根にする)、八角円堂の朱漆の色合い、金の塗装、破風内の造形などなど。

とりあえずここまでできています。
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初めてのお城づくりにしてはかなりうまくいっています。

ほとんどの破風は広島城のキットと入れ替えてみましたが、さすがにこの作業は大変なので、切り出しは私がしました。

赤の色を出すのにも困っていましたが、レッドとブラウンとデザートイエローの3色の配合をするように、と助言をして、うまくいったようです。

下見板の黒の感じと白壁の白の色合いも、狙い通りうまくいっています。内側がキットの成型色の白。
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ジオラマにする!と言っていて、この作業もテクニックを伝えるのに苦労します。かなり手伝う部分が出てきそうです。実際の安土城の曲輪を再現したジオラマがほとんど無い中、はじめから飛ばしまくっている妻に恐怖を感じております。
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