本丸の南にある飯田丸(西竹の丸)の南西に建つのが飯田丸五階櫓です。
この写真は明治四年に撮影。右に写るのが飯田丸五階櫓、その左に大天守の頭が覗きます。その左には、この後すぐに解体される数寄屋丸五階櫓が写る貴重な写真です。飯田丸五階櫓から続く多聞は百間櫓と呼ばれました。
これは大小天守の脇に建つ、御裏五階櫓。変形平面を持つ不整形の櫓です。写真左にはこの度の地震で崩壊した北十八間櫓が写ります。
惜しくも西南戦争で宇土櫓や幾つかの櫓を残して大部分が焼失しました。
そして平成になり、熊本城は「復元整備事業計画」として、南大手門が平成14年に完成したのを皮切りに、次々と木造による諸櫓の復元を進めて来ました。
飯田丸五階櫓の復元は平成17年2月。
今後も最初の写真にあった百間櫓をはじめ、数寄屋丸五階櫓、御裏五階櫓、竹の丸五階櫓など、古写真に写る姿を取り戻すように、復元整備が進められるはずでした。
ところが今年4月の熊本地震で、ご存知の通り、熊本城は全域に渡り大きな被害を受けました。
つい先日、補強工事が始まったというニュースが流れました。
熊本城の被災には、一城郭ファンとして、大変なショックを受けました。すぐ車で行く事のできた、特に思い入れも思い出もある熊本城です。復元が進んでいく事も、夢のように喜んでいました。
数ある五階櫓の復元の一番はじめであったこの飯田丸五階櫓が、奇跡のようになんとか持ちこたえてくれているのが、目に焼きつきます。
熊本城の五階櫓群は、シリーズでいつか模型にしたいと思っていました。そのうち、全景復元模型も考えているのですが、まずはこの飯田丸五階櫓(平成復元)から模型にしてみます。
製作の資料は、熊本城研究の第一人者、北野隆先生による復元図面と被災前の写真です。
スケールは317分の1。書籍掲載の図面をそのまま使ったので、中途半端なスケールとなりました。
まず、断面図から各階の芯となる箱組み。
図面は平面および、南北断面と西面立面しかありませんので、図面の無い面は平面図と写真から寸法を割り出します。
箱組みの周りに外壁を取り付けていきます。まず最下部の雨押さえ部分。石落としの構造は実物と違います。
下見板パーツの作製。少しずつ誤差が出てしまいました。
下見板の切り出し。
下見板を貼り付けました。
白壁との境目の横木(名称が分からない)を取り付け。
石落としを付けました。
窓に格子を入れました。最終的に突き上げ戸が付きます。分かりにくいですが白壁も貼り込みました。
と、こうしているうちに、製作のご依頼が3件入り、今週忙しい事も相まって、どんなスピードで進むか先が読めません。
と、こうしているうちに、製作のご依頼が3件入り、今週忙しい事も相まって、どんなスピードで進むか先が読めません。